かつて男性が「田の力」として筋肉労働をしていた時代、40過ぎた親父のもっとも大切な仕事は、「稼ぎ」ではなく「息子のために仕事を残す」ということだった。

 

農夫は田畑(でんぱた)を残し、漁師は船を残し、鍛冶屋は道具を残した。人の一生は一代で終わるわけではない。母親は娘に、父は子に命、生活、伝統、文化を引き継ぐ。生物に置いては「継続が命」であり、自分のことはともかく次の世代につながることが重んじられる。

 

日本人の平均寿命が伸びたので、昔の40歳は今の50歳だが、今の親父は「子孫の継続」に対して覚悟ができていないようにも見える。

 

息子が小さい頃、「お父さん、勉強するのってイヤだよ。どうして勉強しなければならないの?」と聞かれて、「将来、立派な社会人になるために勉強しておいた方が良いぞ」と言ったお父さん。息子にそうは言ったものの、実は仕事を残しておかなかった。

 

子供は仕事を作れない。子供の仕事を作るのは親の役割なのだ。子供はやむを得ずニートになる。ニートで立派な社会人になるのは難しい。

 

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赤字国債、エコポイント、子育て資金、補助金、自然エネルギー買い取り制度・・・いずれも「他人のお金を恵んで貰う乞食養成システム」である。今、豊かな生活をするために「環境」とか「福祉」という耳障りのよい言葉を使って、結局は「子供につけを回す」ことだけをしているように見える。

 

環境でも福祉でも、自分ができることをやり、その範囲にとどめるべきだ。ましてリサイクルや温暖化騒動のように、本来はなにも問題が無いのに、一部の人(約1万人)に税金が流れる(一人1億円程度)システムを作り上げることをもう止めにしなければならないだろう。

 

そして子供には職業を用意し、その上で「貧乏は恥ずかしくない。額に汗して働けばそれでよい」と教えることだ。

 

(平成2392日)