京都の大文字送り火の時に被災地の薪を使う問題で、批判が強く市長は「残念」という言葉を残して中止を決断した。
福島原発事故が起こってから、日本の指導者の覚悟が次々と試され、次々とその覚悟のなさが露呈された。それは、政治家、官僚、専門家、マスコミ、そして普段から立派な見解を述べる一般市民も同様だった。
福島原発3号機が轟音と火花をあげて爆発し、その爆発煙が空高く上がったのに、それを「もやが上がっている」と表現し、映像はできるだけ小さく見せた。
基準値の3355倍のヨウ素が検出されても「直ちに健康に影響がない」と政府は繰り返した。
その一方で、東電が作業員に対して1年1ミリシーベルトを超える被曝をさせたとして政府は東電を処分した。
やることなすこと、メチャクチャな5ヶ月だった。そして臆病風はまだ吹いていて、その一つが今度の京都の薪事件である。もちろん、薪を使うという原案は臆病風に吹かれた決定だった。
どうしてそうなったのだろうか? いつまで続くのだろうか? 私たちは京都のことに力を得て、覚悟をもった責任ある指導者を求めて行きたいと思う。(音声ファイルがついています。)
(平成23年8月13日 午前11時)