少し論理的な話題を取り上げたいと思います。

 

1992年にリオデジャネイロで環境サミットがあり、そこで「予防原則」が決まりました。簡単に言うと、「環境から人が被害を受ける恐れのあるとき、科学的な結論が出ていないときには安全サイドで規制することができる」ということです。

 

人間の活動は限りがありますが、水俣病の水銀汚染などに代表されるように、毒物は不意に出現したり、放射線の低線量被曝のように医学的にハッキリしていない場合が多いのです。

 

しかし、それをそのまま放置しておくと被害者がでるので、そのような時には「予防的」に厳しい制限をして、その間に学問を進めて白黒をハッキリさせるということです。

 

そしてハッキリしたら規制を解除するという手続きを国際的に決めたのが予防原則です。これを「ダイオキシン」、「たばこ」と「低線量被曝」で比較してみましょう。

 

1) ダイオキシン:予防原則で規制したが、2001年に科学的に毒性がきわめて弱いことがわかった(予防原則外になった)。

 

2) 低線量被曝:今でも科学的に決着がついていないので、11ミリシーベルトで予防的に人間を守る。

 

3) たばこ:副流煙の被害自体が不明確で、原因も不明。従って、国際的には規制を作ることができない段階(喫煙は自分で行う行為だから規制には基本的には無関係)。

 

ということです。この差を論理的に日本国内で合意をしておく必要があります。毒物の問題は曖昧のままでは被害者を出しますので、論理はしっかりしておくことです。

 

特に今回の放射線被曝では、専門家までもが「自分の意志で喫煙し年取って死亡する確率と、強制的に被曝して若くしてガンになるものを比較する」という「自分の主張に都合の良い論理」を持ち出していることに注意が必要です。

 

(音声ファイルは2度クリックすると聞くことができます。音声が出ないようになっている場合は声が聞こえません)。

 

「takeda_20110813no.56-(5:22).mp3」をダウンロード

 

(平成23813日 午前9時)