「座右の銘」などを書くときに「遅れず」と色紙に書く。昔の中国の言葉でもなく、平易なものだが、かえって意味がとりにくいと言われることも多い。

 

先日も色紙に「遅れず」と書いたら、意味がわからないから解説をして欲しいと言われた。少し口では言いにくいのでブログで書いておきたいと思う。

 

人生も後半生になって私は一つだけでも自分が守ることを決めておきたいと思った。自分が少しずつ傲慢になっていくような感じがしたこともそう思った理由の一つだ。

 

そして、「どんな場合でも、時間に遅れないようにしよう」と決意をしてもう数10年を経た。たとえば、結婚式。かならず2時間前に行く。立場上、主賓のことも多く、万が一にもギリギリになればご両家の方は負担に思うだろう。そうでなくても、おそらくは朝から準備で大変に違いない。そんなときに主賓が来ないと気をもませるのも恐縮だ。

 

講演会。これももちろん2時間前。航空機を利用するときには前の日には入るようにしている。講演会には遠くからこられる方もおられ、近くても自分の話を聞こうと時間を使っていただけるのだから、それに遅れてはいけない。

 

かくして、講義でも、テレビ収録でも私は2時間前に行く。辛いのは早く家を出ることではなく、いかにして「あまりにも早く着いてもどこかに隠れていて、正常な時間についたフリをするか」である。

 

会場に早く行くと、世話をしてくれる人の時間をとる。自分がお客さんだったり、先輩の時には、出迎える人や後輩が恐縮する。それを防ぐために、近くまで来て喫茶店に入る。昔はミスタードーナッツの雰囲気が好きで、ドーナッツを1つとコーヒーを頼んで、その町の時間を楽しんだ。

 

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「遅れず」、この一つの簡単なことでも、長く続けるのは難しい。新幹線が遅れても理由にしないためには代替交通機関でも間に合うように行かなければならない。たとえば名古屋から大阪に行くときには新幹線が止まっていたら、近鉄で間に合う時間にでる。

 

一度、徳島に行くときに名古屋を飛び立った航空機が徳島上空で引っ返した。それから慌てて新幹線とバスを乗り継いで徳島に間に合ったものである。

 

ゼッタイに言い訳をしない、このことだけでも、とても大変だが、それが自分の誠意を自分自身で試すことになる。

 

今までもう何年になるだろうか、「遅れず」の記録は続いている。でも、いつの日かこのモットーを守れない時が来るだろう。それも仕方がないと自分では思っている。むやみにがんばらず、ダメなときはダメというのも私の考えだからだ。

 

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「遅れず」にもう一つ裏の意味を持たせている。それはどんなに面倒なことでも世の中の動きに遅れないようにしようと思っていることだ。それも集団生活をする人間にとってはとても大切なことのように思う。

 

私が今でも、最新鋭の携帯を使い、ほぼ全部を自分でパソコン、ソフトを入れ替え、周辺機器を備えているのも、この「遅れず」の陰の意味を全うしたいと思うからだ。

 

(平成238月5日 午後4時 執筆)