まだ、多くの人が気がついていませんが、今、節約してコツコツと貯めたお金を銀行に預けると、驚くべきことにその半分しか帰ってきません。
このように言うと、「そんなことはない」という反撃が聞こえそうです。
かつて日本人はお上を尊敬しつつも、良い意味での批判精神や、「ひやかす余裕」があったのですが、最近は補助金などが行き渡った関係で、社会に行き渡っている「建前」に疑問を示す人を「村八分」にしたいという社会の風潮が増してきているように思います。
確かに、見かけ上は、銀行に100万円預けて、しばらくして銀行に下ろしに行くと、ちゃんと100万円をおろすことがでます。
おまけに、1年でも預けておくと、わずかだけれど数1000円は利子も付いてきます。
だから、預金した人は100万円は戻ってくるような錯覚にとらわれていますが、日本社会は昔のように単純ではなく、曲がりくねった社会になっています。
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それでは、現実はどうなっているのでしょうか?
銀行に100万円預けると、かつては銀行は企業に貸し出して、100万円を120万円で返して貰い(これを「運用」と言う)、手数料を15万円とって、預金者には利子5万円をつけ、合計で105万円を戻していました。
100万円が120万円になるのは、「正常な企業活動」によって「より価値の高いものやサービス」を提供し、それによって社会全体は130万円ぐらいの価値を生むので、企業が10万円、銀行が15万円、そして預金者が5万円をとっていたのです。
ところが、社会が成長しなくなると企業は事業を拡大できず、有料会社は自己資金を抱えて銀行からあまりお金を借りなくなります。
それでも、国民は総資産1500兆円といわれるお金を持っているので、それを銀行などに預けます。
銀行は、企業が借りてくれないし、金庫にお金を入れておいても運用益がでないから、国が出している国債を買うことになります。
今では「国債」というと普通のことになり、「政府が借金するのは当たり前」になってきましたが、もともと国債は戦争の時のように特別な時に必要となるもので、日常的には「国会で決まった税金」の範囲で国を運用するのです。
でも、今の政治家は二世議員などが増えて、「お金を借りて、踏み倒す」のは平気になりました。
政府は国債を出して、銀行から預金を吸い取り、それを「補助金」や「エコポイント」という形で配り、そのお金は「政府に帰ってこない」・・・「使い捨て」になります。
だから、銀行が国債を政府に売ると、政府はそのお金を税金で払うということになります。それ以外には「財源」というのは無いからです。
かくして、庶民は100万円を銀行に預けると、そのうちの50万円は政府が勝手に使い、足りなくなると消費税や所得税を増税するというとんでもないことになっているのです。
力のない政治家は税金だけを使って運用するという魂を持たず、国債という隠れ蓑を使って、お金を使い、知らぬうちに増税しているのです。
「国庫が赤字になったので、消費税を上げる」とか「震災の対策の財源が無いから所得税を上げる」、「東電が赤字になるから電気代を上げる」・・・すべて自分たちの放漫経営や、事故の責任を曖昧にして国民のお金を出させているだけです。
結局、銀行に100万円を預けると、見かけ上は100万円を払い戻せますが、それと同時に税金が50万円増え、実質的に「銀行に預ければ預けるほど、預金が減る」という変なことになっているのです。
「誠実みの失った社会」、「コツコツと努力するより役人に接近した方が得になる時代」になったのは悲しいことです。
今回の大震災が国家予算を湯水のように使った東海地震ではなく、東北だったこと、原子力発電所がこれほど弱いのに、それが表に出なかったことも、「税金を貰って生活する人が、権力を持つ時代」だから起こったことなのです。
額に汗して働いた人は、正常な感覚を持っています。だから、コツコツと貯金をして、報われる社会を作ることも、日本にとって必要なことと思います。
(平成23年7月26日 午前10時 執筆)