今から1000年前に、清少納言さんに

 

「テレビをどう思いますか?」

 

と聞いたら、

 

「人が小さくなって箱に入るなんて、鬼の仕業よっ!」

 

と一蹴されるでしょう。

 

科学を志すもののもっとも大きな悩みは、「今と違うこと」を作り出してしまうことです。時にそれは自動車だったり、機関銃だったりします。

 

110年前、ポーランドからパリに来て、「原子力」を初めて発見したキュリー夫人は、「太陽がなぜ光っているのか」という謎を解明する手がかりを作ってくれたという点では人類の恩人ですが、原爆の作り方を教えてくれたという点ではマイナスだったかも知れません。

 

科学を志すものとして、自分が発見・発明するものが、どのように化けるか、それはわからないのです。

 

1920年、今から90年前の日本人の平均寿命は43歳。それからみると命は約2倍になっています。

 

あかぎれの手、薄暗く不潔な便所、そして冷蔵庫の無い生活・・・それは現代からみると悲惨な日々でもありました。

 

だから、科学が悪いだけではないようです。

 

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ところで、55年体制と言いますが、少し前まで個人の思想や行動は「資本主義か社会主義か」という2つに分かれていました。

 

正当で言えば、自民党対社会党の対立で、何かの争点があると、その人がどういうかは発言する前にわかっていたものです。

 

原発

 

自民党・・・賛成(経済発展)

 

社会党・・・反対(危険性)

 

アメリカ

 

自民党・・・親米

 

社会党・・・反米

 

と決まっていた。

 

ところが、村山政権の時にこともあろうに自民党と社会党が連立し、社会党の村山首相が自衛隊の観艦式にでて、敬礼をした瞬間、それまでの「思想対立」はなくなりました。

 

それからというもの、

 

労働組合・・・実質、解体

 

福祉・・・・・全党、賛成

 

環境・・・・・全党、賛成

 

経済発展・・・全党、賛成

 

となり、政党は融解し、腐敗が広がったように感じられます。

 

それまで「お金持ち」は自民党を支持し、「庶民」は社会党だったのですが、その後は、「お金持ち」は利権をむさぼる、「庶民」はエコポイントを貰うという、私が思うところでは「乞食日本」になったと見えます。

 

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そんな社会の変化の中で、原発は「原理的賛成」と「原理的反対」の中で戦いは地下に潜っていました。

 

特に地球温暖化問題がおこってから、「原理的反対」は陰を潜め、国民全体が原発賛成になりました。当時、といってもそれは半年前ですが、私は、

 

「なぜ、地球が温暖化すると、原発が安全になるのか?」

 

などと発言して顰蹙を買っていました。

 

そして3月に福島原発の事故が起こると、またもや「安全な原発はOK」という私の立場は必ずしも支持されていません。

 

「なんとか原発を続けられないか」という推進派と、

 

「絶対、原発はやめるべきだ」という反対派の間に挟まれてしまっています。

 

推進派は私を「放射線の被害を正しく伝えるとは何事か!」とうさんくさい目で見ますし、反対派は私を「やはり、武田は原発推進だ」と冷ややかです。

 

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「原発が安全になるまでは、石炭やLNGなどを使えば良いじゃないか」

 

「なんで、それほどまでして電気が欲しいのか?」

 

200年後に安全になれば、やっても良いのではないか」

 

という私は、右から左へと大きく変化する社会の中で、またかつてのように孤独になりつつあるようです。

 

若い頃、私は「バランスのとれた中庸がもっとも優れている」ということをお釈迦様に習ったのですが、それは違っていたのでしょうか? 

 

いや、間違っていないと思います。私はこれからも「額に汗して、楽しい生活」ができる社会を少しずつ目指して行きたいと思います。

 

(平成23717日 午前11時 執筆)