原発が再開できるかどうかは、技術的な問題と考えられています.でも、福島原発事故以来の状態をみていると、技術の問題というよりも「人災」としての側面が強いように感じられます.
2011年7月に入って立て続けに起こった、松本復興相の辞任問題(工夫すれば助けてやる発言)、玄海原発の再開に関する九州電力のやらせメール事件、同じく玄海原発の経産大臣のフライング問題(原子力安全委員会の意見を聞かずに安全宣言をしたり、安全宣言をしたあと安全を確認するためのストレステストをすると言ったり)、さらには佐賀知事が「国が言ったから安全」発言・・・など庶民の日常生活でも行われないような低い人格、ヤラセ行動、無責任発言が、大臣や知事、電力会社のレベルで続きました。
このようなことを毎日のように聞き、一方ではできるだけ子どもの被曝を少なくしようと工夫していると、「イヤになってしまう」というのが正直な感想です.
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原子力のような巨大技術は、今回の福島原発事故を見ても分かるように、技術と人は一体となったもので、事実をしっかりみることや、冷静な判断力を必要とします.
その意味では、原発事故の初期のころ、福島原発の東電社員が119番へ連絡しなかったり、東電と政府がメルトダウンを隠したり、政府が「遠くに逃げろ」とまちがったことを言ったり、福島県知事が裏で児童の20ミリシーベルトを国に強く働きかけたり・・・と誠実さの無い行動が続きました。
このようなことは、福島原発事故が起こったので初めて表面化したもので、これまで原発では事故の隠蔽が連続して起こっていました。
有名なものとして、東電のシュラウド事件、北陸電力の臨界事件などがありますが、小さな事故隠しやデータの改ざんなどを数え上げるときりがないほどです。
また、原発では制御棒の事故、ポンプの故障などの中型の事故はおおよそ1年に1度ぐらいは起こっています。
さらには、震度6の地震に見舞われて、いままで無事だった原発はほとんどありません。
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しかし、このようなことが報道されることは少なく、たとえ報道されても、多くの人は「いろいろあるけれど、おおよそは大丈夫なのだろう」と政府や電力会社を信用していたのです.
技術も、運転も、システムも、人事も、そして政府や学者も、このような巨大な技術の場合には、極めて論理的で精緻な管理体系か、もしくは誠実みのある社会でなければ、今後も危険が伴うでしょう。
(平成23年7月9日 午前10時 執筆)