第一回に日本の電気代が異様に高いのは、電気会社がサボって「稼働率」が低いまま、工夫をしていなかったことを明らかにした。
第二回に東電が計画停電をしたのは、
1) 発電量は十分にあるのにジェスチャーだったこと、
2) 「津波で原発がやられた」というのはウソで、「地震で火力発電がやられた」のが主たる原因だったこと、
であり、言いたくないことだが、東電は芯からウソつき体質なのだろうか?
もし、東電が事実を言えば、次のようになる。
「福島原発1号機から4号機では地震と津波で、大量の放射線漏れの事故を起こし、大変、申し訳ありませんでした。
この事故で現実に電気が作れなくなったのは、弊社(東電)の発電量のわずか3%です。
しかし、火力発電も含めて地震対策ができていなかったこと、設備はあるのですがそれを十分に活用していなかったこと、から、電気が足りなくなる可能性もあります。
今のところ、お客さんが少し節電していただければ、2倍の発電量を確保できる見通しです。」
正直に言った方が、良かったように私には思えます.
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ところで、次の段階に進む前に、少し「電気のこと」を整理して起きたいと思います。
まず、日本は経済的に高度成長を遂げてきましたが、その中でも特に電気の消費量が増えました。
グラフからわかるように、昭和27年を1(イチ)とすると、平成20年頃には、GDPは13倍にもなりましたが、電気の消費量はさらにその3倍の36倍にもなっています.
私たちもずいぶん、電気をふんだんに使った贅沢な生活になったものですね。
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かつて暖房といえば石油ストーブ、冷房はほとんど無しというのが日本人の生活でしたが、それが徐々にエアコンに変わり、さらには「オール電化住宅」になったのです。
石油ストーブなら石油の持っている熱を100%使えるのですが、電気は作るときに重油の熱の3分の1しか電気が起こらず、さらに送電や変電の時にロスをするので、現実には設備を作るときに使う石油も含めると、電気というのは、10%の熱が使えれば良いというほどのものです。
でも石油を運ばなくても良いこと、ヒートポンプなどの高度な技術が使えること、それに部屋がクリーンで火災の心配が無いことなどから、所得が増えるとどうしても人間は電気になってしまいます。
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ところでさらに「季節」と「時間」によってどのぐらい電気の使い方が変わったかを東電の資料で見てみましょう.まずは季節の変動からです.
昭和43年には東電は1000万キロワットを発電すれば良かったし、季節毎にほとんど変化はありませんでした。
夏は冷房を使わず、団扇、打ち水、風鈴などで涼しさを求め、冬は石油ストーブを使っていたからです.それでも「熱中症」のようなものはほとんどありませんでした。
一つには自然の中での生活で、汗腺が発達して自分で体温の調整が出来たこと、都市の設計が亜熱帯に近い日本にあったものだったことなどが上げられます。
今では、エアコンがなければ生活が出来ない感じですし、「熱中症」になる人も増えました。現在では気候の良いときには4000万キロ、気候が悪い時期には6000万キロにもなっています.
それでも電気会社は、オール電化、電気自動車などさらに電気を作ろうとしていたのです.
次に、一日の中での電気消費の関係ですが、このグラフのようにかつてはかなり低かった電気の消費量がドンドン増え、今では7月には「夜間が3000、昼が6000」という状態です.
昭和の間は、電気を使うと言えば家電製品の普及でしたが、平成になるとエアコンが増え、昼間の電気は3000から6000に跳ね上がっています。
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一見して奇妙に思うかも知れませんが、これは
「エアコンの技術開発」
が進み、
「安くて省エネタイプのエアコンができた」
ことによります。
新技術ができることは良いのですが、それによってエネルギー消費量が増えるというのが産業革命以来の私たちの社会で、エアコンの値段が高く、電気代が高いと誰も買わないのですが、エアコンが数万円で買えるようになり、電気代も安くなると、多くの人がエアコンを使い、その結果としてさらに電気の消費量が増えるのです。
「一つの製品の省エネは、日本全体の増エネになる」
というのは学問的な真実です.
みんなが電気を使うようになった、夏にエアコンがなければ生活できないようになった、都市の設計がエアコンが前提になった、太陽活動が盛んになり夏が暑くなった・・・などが原因して、今では東電は6000万キロを準備しなければならなくなったのです。
(平成23年7月02日 午前8時 執筆)