原発事故が起こると、それを沈める鉄則として、
「止める、冷やす、閉じ込める」
と言われる。
原発が危険なのは、第一に連続的で小さな核爆発を起こしているのだから、事故となればそれを止めなければならない。そこで、何が何でも制御棒を入れて「止める」のが第一だということになる。
でも、制御棒を動かすには電気がいるから、事故の瞬間に電源が落ちれば制御棒も入らず、核爆発が続く場合もある。だから「止める」というのは「止められるときは止める」ということであり、「止められない時はどうなるか判らない」と言うことになる。
次に「冷やす」だが、冷やすためには水がなければならない。今回の福島原発のように冷却水が原子炉に届かなくなると、冷やすことができないから「冷やす」というのも、「冷やせれば、冷やす」ということであり、「冷やせなければどうなるか?」というのは今回、初めて経験的には判ったことだ.
第三番目に「閉じ込める」ということになるが、閉じ込めるためには容器に孔が空いていたり、割れてしまったら閉じ込めることは不可能になる。つまり「閉じ込めることができる時は閉じ込める」という自分勝手な方針なのだ。
・・・・・・
つまり、「止める、冷やす、閉じ込める」というのが今回の事故の直後にも金科玉条のように言われたが、もともと「止める」ことが出来ただけで、冷やすことは不可能だったのに、テレビで「止める、冷やす」と繰り返していた。
その結果、大量の水を注入するしかなかったが、私もテレビで質問されて「水を投入した方が良い」と言ったが、これは私の技術論で、「非常時は考えてはいけない.非常時の時の事は平時に考えなければならない」という鉄則に従ったことによる。
私も研究をしてきて非常時を多く経験しているが、非常時に「良い」と思ったことは、後に考えると不十分なことが多い。人間は冷静でなければ良い考えは浮かばないもので、非常時にあれこれするより運命に任せた方が良い。
・・・・・・
ところで「止められなかったら、どうするか?」、「冷やせなかったらどうするか?」は原発の安全を考える上でどうしても必要なことだ。
「事故」というのは思わぬ時に起こり、思わぬことが起こったときに起こる.だから「止めたい」、「冷やしたい」、「止めなければならない」、「冷やさなければならない」というのは何の意味もない。
それより「止められなかったときはどうするか」、「冷やせなかった時は?」が大切である.
一つの参考に次の図を見てもらいたい.
原子炉の上に筒があり、そこで爆発したときの放射性チリを外に出さないようにする。
原子炉の下に孔があり、そこにメルトダウンした燃料を落としてしまう。
事故が起こったら、「水をかけるのではなく、水を抜く」。水が抜かれるから核爆発も起こらず(後で説明)、崩壊熱でたちまち燃料はメルト(融ける)し、原子炉の底を破って地下の孔に落下する.
「地下核実験」というのがあるが、理論的には大きな核爆発は起こらないが、仮に起こっても地下核実験になるだけだから、地上にはあまり大きな影響はない.
つまり「どのぐらい深ければ大丈夫なの?」という質問には「地下核実験の深さ」と答えればおおよそ大丈夫だろう.
融けた燃料が孔の中に落ちたら、そのまま土をかけて「土葬」にしてしまえば、永久にさらばとなる。
また、さらに素早く、メルトする前に原子炉の底が開くようになっていれば、事故が起こったらすぐ底をあけて落としてしまえば、放射性物質はほとんど漏洩しないかもしれない。
・・・・・・
ところで、炉の上の筒は、今回のように水素爆発が起こって上空に放射性チリが舞い上がっても、「無風」ならそのまま原子炉の中に落ちる。それをそのまま実現しようとするものだ。
ただ、ガスも一緒に出るので、圧力などをよく考えなければならない。
私がここで言いたいのは、「止める、冷やす、閉じ込める」というのは「小さな事故」の時だけで、それは「電力会社の希望的な状況の範囲内」に過ぎない。
今でも、日本の他の原発は、「起こって欲しい事故だけが起こる」という安全対策なのだから、こまったものである。
でも、ここで示したものも一つのケースに過ぎず、もっといろいろな場合を想定する必要がある。
安全とは非常に柔軟な考えを必要とするのに、「誰もいない記者会見で「質問はありませんか?」などと聞く役人」が安全を審査しているということ自身が奇妙なのだ。
(平成23年6月21日 午前9時 執筆)