戦争の痛手から回復した日本が原子力を始める時、政府が国民に約束したことがある. 

それは、他の政策と異なり、原子力だけは「民主・自主・公開」という原子力3原則を守ると宣言したことだ。

わたしも長く原子力関係の仕事をしてきたが、自民党政権下で、この原則は比較的、良く守られてきた。

1)   原子力は民主的な手続きを経て行う、

2)   外国に影響されず日本は日本として原子力の平和利用を進める、

3)   常に公開し、国民の支持を得る、

というものだ。

ところが、民主党政権下で起こった福島原発では、

1)   小学生の児童に20ミリ以上(内部被曝を過小評価)をあびさせることが決まった経緯が、まったく民主的ではない、安全委員会もいい加減だったが、文科省大臣の強圧的態度は民主的というにはあまりにもかけ離れていた、

2)   浜岡原発を止めたのはアメリカの要請で、アメリカ軍横須賀基地を守るためだったと公に言われている、

3)   どの重要な決定も密室で行われ、突然、発表された、

というおおよそ原子力3原則とは正反対のことばかりが行われている.

そして、逆に3原則を守ってやろうとすると、かえって強い圧力を受ける.絶望的なぐらい誠意を失った社会になった。

そして、民主党政権というのは、その名前とはまったく違い、首相も大臣も、幹事長も、さらには個別の議員まで「民主的」ということに対して強い反感を持っているように思える。

浜岡を突然止めて、他の原発は止めないと宣言する。君は日本の将軍なのか? 

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福島県の児童は20ミリでも健康に影響がないが、静岡県の人は1ミリでも危ないから浜岡を止めるという論理だ。

東海地震だけは来るけれど、日本には他の地方には地震が来ないという論理でもある。

福島原発の事故は、「原発が必要だから、原発は安全だ」とか、「想定外のことが起こったら大量の放射性物質が漏洩してもよい」などという「論理破綻」がもたらしたものだから、こんな矛盾した論理を続けていたら、事故を防ぐことは出来ない。

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私は今からある原子力の会議にでる。

その会議は原子力関係だから、「公開でなければならない」という私の求めは一蹴されている.

私は2006年の地震指針を機に、原発推進派から原発批判派に変わらざるを得なくなった。そして、今回の福島原発の事故はその帰結であるから、それだけなら私は批判派に止まることが出来た。

でも、原子力3原則も守らない。これほど誠意のない、論理が破綻した政権では、すべての原発は止めなければ、また私たち大人が子供を被曝させることになる。

誠実であること、

透明性を保つこと、

万機公論に決すること、

大切なことは何時の世も変わることはない。

(平成2359日 午前8時 執筆)