現在の日本の原発は、「電力会社が想定した地震、津波、台風、大雨等の範囲」に限り、安全に設計されている。

この場合、電力会社が想定する地震の程度が震度7の場合もあるし、震度3の場合もある。いずれにしても想定の範囲内であれば安全である。

この電力会社の態度は国が定めた原発の地震指針に沿っているので、その意味では違法ではない。

電力会社が決定した想定を形式的には保安院がチェックすることになっているが、現実的に保安院はその力がないのでチェックはされていない。

このことは東電社長が「津波の想定が甘かった」と陳謝し、それに対して保安院が誤らなかったことが証拠になった。

なお、「安全」というのは、国民が1年1ミリ以上の被曝をしないということであり、まったく放射性物質を出さないということではない。

柏崎刈葉原発の事故の時には、「想定外」と「1年に1ミリ以下」の2つの理由をもって、東電は免責されている.

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原子力安全委員会の地震指針の用語を使えば「想定外で起こる危険」を「残余のリスク」という。聞き慣れない用語だが、このような珍しい言葉を使う理由がある(国民が理解しにくい)からだ。

ところで、原発に想定外のことが起これば、(施設が破壊し、大量の放射線物質が漏れ、国民が被爆する)ということは、原子力安全委員会から出された正式な文章に記載され、日本政府もそれを認めている(私の記憶では自民党時代の閣議を通っている)。

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従って、日本国民は「原発が電力会社の想定内の範囲であれば安全であり、想定外なら被曝する」ことを認めていることはあきらかである。

今回の福島原発が東京電力の想定内であれば、国民は被爆を甘受しなければならない。

それは自分たちで決めたことだからである。

そして被ばく限度その時の被ばく限度としては、1年に1ミリ以内、つまり交通事故と同程度で、1億人の日本人に対して5000人のガンが発生するということを意味している(主に子供)。

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現在、東海地震が起こると言われている震央地にある浜岡原発の安全性が問題なっているが、中部電力は浜岡原発の安全性について「特に問題ない」と発言するであろう。

それは正当なことで、中部電力が想定する範囲では浜岡原発が安全に作られているからであり、それは私企業の行動しうる範囲でもある。

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それでは、ここからが問題だ。

中部電力の想定外で浜岡原発が破壊した場合、それによる被害(施設の破壊、大量の放射線の漏えい、それに続く国民の被曝)の対策をどこがやるかということである。

原発の地震指針が示していることは、想定外であれば大きな事故は起こるのは確実であるが、その責任を誰が取るかとか、後始末をどこがするかということにおよんでいない。

従って、想定外のことがあっても、住民を避難させたり、汚染された水の代わりの新鮮な水をいう準備したりし、さらには、小学校が汚染された場合、疎開先の小学校を準備しておくというような責任は誰なのだろうか?

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常識的には付近の自治体と考えられる。

しかし自治体は躊躇している。電力会社が自ら失敗したのに、自治体も共犯者のようにされるのをいやがっている。福島県は事故について国民に謝っていない.

しかし、電力会社は事故が起こっても、作業は原子力発電所に限定していて、地元を洗浄したり、住民を避難させたり、小学校を作ったりすることはしていない。

このブログでも指摘しているように、福島原発から出てきた汚い放射性物質を含んだ土すら東電は回収しない。

電力会社は原子力発電所が想定外の事故を起こした場合、その責任は国民にあると考えていると思われる。

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一方、自治体では、硬直的な議論がなされ、「もともと原発は安全であるという説明を受けたのだから事故が起こっても自分の責任ではない」という態度である。

つまり、責任のなすりあいの結果、国民が被曝し、自分で放射性物質の処理を迫られているというのが現状だ。

しかし、原発を受け入れた自治体の首長は、原発が想定外の場合に、施設が破壊され、大量の放射線が漏えいすることを知っているのだから、それに対してどのような対策をとるべきかは、税金をもらって市民のために仕事をしている自治体の長としては最低限必要なことと考えられる。

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今回の福島原発のことで明白になったように、原発の地震指針では、地震や津波で原発が破壊されることを認めていながら、現実に原発が破壊されたときに、国民をどのように避難させるかについては検討していなかったことが明らかになった。

今後、大至急、国、自治体もしくは電力会社のいずれが後始末を担当するかをはっきりしておかなければならないだろう。

その意味では浜岡原発の安全性議論は空しく響く。

(平成235月6日 午後5時 執筆)