自由で明るく、それでいて節度のある社会というのはどういうものかということを時々考えます。そんな社会で人生を送ることができればそれは快適だと思うからです.

日本では「義務教育」というのは中学校まででしのたで、中学校を卒業すればそれぞれの人が自分なりに考えて、自分の人生を歩くという人生でした。

現在では、高等学校全入と言われる時代ですから、ほとんどの人が高等学校を出た時点でいわば「一人前の大人」になり、その後の人生は「その人の判断」に委ねられます.

わたくしがこの前このブログで「勉強しない大学生でも構わないじゃないか」と言ったのは、先生の方は学生が勉強してもしなくても、同じように学問を教えるのですが、学生の方は、友達とのつきあいやクラブ活動をしてあまり勉強しないという選択もできるわけです。

それが何が悪いのか?国立大学でもなければ税金を受け取っている訳でもなく、また国立でも勉強しない学生にそれほどお金がかかる分けでもありません.

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同じように、タバコを吸う人が肺ガンになろうが、それは吸う人の判断ですし(タバコの煙の害は別の問題ですが)、ましてメタボになりますと、本人が太っていても周囲に迷惑がかかると言えばエレベーターに乗れる人が一人減るぐらいで社会的な問題は生じません.

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価値観の多様化と言われて久しいのですが、まだその意味が咀嚼されていないで、「自分が正しいと思う人生を送らない人は悪い人だ」という風潮が強いように思います.

日本の社会が閉そく的だ、若い人は元気がないと言われますが、その原因の一つに、細かいところまで「人間はみな同じにしなければならない」という強い信念が原因しているように思います。

例えば「だらしない人」とか、「サボりの人」や、「健康に気をつけない人」というのが社会にいても良いのではないかと思います。

「真面目な人」ばかりがいる社会は息が詰まります。真面目な人というのはとかく他人に注意をしたりしますから、やっかいなものです。

本当に「真面目な人」というのは、他人が不真面目でもそれも真面目に受けいれる人でしょう.他人の不真面目を注意するようでは真面目ども半ばということです。

「優秀な人ばかり」というのも困りもので、自分が優れているので、人の欠点を指摘したりするので、これも困りものです.

この世に優秀な人ばかりと思っているのなら、その人は優秀ではありませんし、自分が優秀だと思っているとしたら、これもお釈迦様に会ってもらいたいものです。

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ところが、細かいことを指摘する割には基本的なことを大切にしない傾向があります。

例えば、政治家ですと公約を守る、人間としての約束を守る、社会人として他人を尊重する、日本人として誠を貫き恩を大切にし祖先を敬う、など人間として大切なことを疎かにして、それでも威張っていたりします。

わたくしが活動している環境では、1)リサイクル品でもないハンガーをリサイクル品と偽って大臣室の前に飾ったり、2)多くの税金を使ったエコポイントの計算をインチキし、資料を隠したり、しているのにまだ環境省などと言って、エコ教育をしたり、税金で生活をしているのです。

それに比べれば、ちょっと体が太っているとか、学生が少し勉強しない等ということは問題にするようなことではないと考えます.

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自由で明るく、節度ある社会というのは、社会を構成する人が、

1)   一人一人の意志と価値観を認め、

2)   他人に大きな迷惑をかけず、

3)   法律や道徳を守らない人はどんなに偉い人でも社会の表舞台から去ってもらい、

4)   謙虚で威張らない人で構成されるような社会

と思います.問題は、日本人がそのような社会にしたいと強く思い、行動することでしょう。

鳩山さん、NHK、環境省、メタボ団体などは即刻、陰に隠れてもらいたいと思います.

(平成23223日 執筆)