日本が明治維新を迎えた時、世界はひどい状態にありました。
どう猛な白人人種がアジア・アフリカ諸国のほとんどを植民地にし、その人たちからの富を収奪して豊かな生活を送っていました。
もちろん白人がその文化の高さでアジア・アフリカ諸国を植民地にしたのではなく、砲艦外交、つまり軍艦と軍隊で脅し、時に撃ち殺して植民地にしたのです。
このような時代にちょうど明治維新を迎えた日本は、何とかして日本が植民地にならないように頑張りました。それには一にも二にも軍隊が必要だったのです。
当時の白人、特にアングロサクソンは極めて征服欲が強く、理屈をいっても通じるような相手ではありませんでした。でも、軍隊が強ければたとえ小さな国でも植民地にされるのを防ぐことができたのです。
形式的に植民地にならなかったという中国や今のタイなども外国に干渉されていましたから、完全に独力で独立していたのは「日本だけ」といっても間違いではなかったのです.祖先に感謝!
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そんな時代、北海道に入植した日本人が最も注意しなければならなかったのは北からロシアの侵略でした。
ロシアは南に出口がない国で、そのためにトルコとクリミア戦争をし、中国では満洲を南下して旅順に軍港を作っていました。隣の国(支那の清国)が弱ると見るや、勝手に隣の国に鉄道を造り、軍港にしてしまうという国だったのです。
ロシアから見ると日本はさらに良いところでした。北海道にアイヌが多かった時代から頻繁に沖合にロシアの船が来ていました。そこで明治政府は日本全体に6個師団があった師団にもう一つふやして第七師団を北海道の旭川におきます。
つまり日本の「北の守り」を第七師団に託したのです.
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第七師団が北海道から出たのは日清戦争からですが、その時は師団が旭川から東京に移動したところで日清戦争が終戦を迎えたので現実には出撃しませんでした。
その後、第七師団は極めて強かったので、日露戦争の時にはもっとも激しかった203高地に、その後、ノモンハン事件、さらに太平洋戦争ではあのガダルカナル戦、アッツ島の守備、それに沖縄戦に投入されました。日本人なら誰でもが知っている激戦地に投入されたのです。
ガダルカナルでは2万人の将兵が戦死、沖縄戦では京都守備隊が5000人の損害、第七師団が約1万人の損害を出しています。
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ところで、遠く本州から寒い北海道に入植した屯田兵や第七師団の兵士たちにとって、辛い毎日に勇気をもらい心のよりどころにしたのは神社でした。
屯田兵は旭川神社を作り、第七師団は北海道護国神社を祀りました.そのほかにも石狩川沿いに開発が進むたびに、まず神社を造り、それから活動を開始しました.
人間はそれほど完全なものではありませんから、これほど偉い北海道屯田兵と旭川第七師団でも、やはり「俺たちが国を守っているのだ」という自負が強く、それが「俺たちは国を守っているのだから、威張って良い」という振る舞いをした例も多かったのですが、だからといって、屯田兵や師団、それに精神的支柱となった神社の功績が消えるわけではありません。
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わたくしたちは今、日本が植民地ならなかったことによってアジア諸国の中では最も経済も文化も進んだ国として存在します。それはかつて、明治維新から太平洋戦争まで自らの命をかけて日本を守りまた北海道の旭川のように、北からの脅威に対抗してきた人たちの努力によるものです。
旭川は、今、旭山動物園やラーメン街が有名です.日本が平和で動物園やラーメンが話題になるのは大変に結構なことですが、その平和を築いてくれたかつての人たち、そしてそれを支えてくださった神社に対してわたくしたちは深く感謝しなければならないでしょう。
(平成23年2月25日 執筆)