健康談議もこれで4回目になりますが、健康談義の前に「なき笑い」というのつけたのは、現在、厚生労働省や医学会が提唱している「健康指導」というのは、何か物悲しく笑ってしまうものが多いからです。

例えば、医療費が嵩んで来たので抑制するために「メタボリック・シンドローム」という怪しげな言葉を作って、「健康に過ごすためにはもう少しやせたほうがいい、やせた方が長生きする」と言い始めました。

長生きは結構ですが、医療費が嵩むのは多くの人が長寿になったからで、国民が健康になると医療費が減るなどというのは事実とは違います.

このように一見して頭の回転が鈍いのではないかというような政策が出てくる時には、裏があります。頭のよい高級官僚が考えるのですから、裏にお金や天下りがある時には、いかにもバカらしい施策がでてきます。

それでつい「泣き笑い」になってしまうのです。

でも、ここでは現在の健康問題の底にある根本的なことを指摘したいと思います。

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自動車の例をとります。

自動車を設計する人と故障したら直す修理の人がいます。自動車を設計する人は自動車を運転して楽しいとか、故障しにくいということを考えて設計します。

その場合に一つ一つの部品については、「故障しにくい」という見地から見ると必ずしも十分でなくても、ドライブが楽しいということと調和させてある設計をします.

ところが修理工場はそうではありません。

修理工場に持ち込まれた自動車を、修理工は全力で故障箇所を修理します.そこではドライブの楽しさなどは考えません.

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この自動車の「設計と修理」ということを人間に当てはめますと、「人生設計と病気の治療」がそれに相当します.

昔から、人生設計は「学校の先生、お坊さん」などが担当し、修理は「お医者さん」がやってくれました。

私は良く医師の倫理の講義で「野戦病院の医師の任務」について話をします.戦争は人間がするものですから、人の体を健康に保つという意味からは実にバカらしいもので、野戦病院で必死に治療している医師から見れば、一刻も早く戦争を止めるべきなのです。

しかし、医師は戦争については口に出しません。それは医師が「故障した人を修理する」という任務を委託されているからです.

政治は政治家が、戦争は軍人が、治療は医師がするのです。治療したら戦場で怪我をしてくるのですから、本来なら医師は「なにをバカらしいことをしているのだ! 治療する身にもなってくれ!」というはずですが、それは言ってはいけないのです。

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人の一生もそうで、雪国に住めば雪下ろしで怪我をする可能性がでますが、医師は雪下ろしで怪我をした人に「雪のないところに行け」とは言いません.

人の生き方について医師は口をださない・・・その約束があるから、医師は治療という人の体に手をかけることを許されています.

これは医師ばかりではなく、教師、宗教家、生け花のお師匠さん・・・どんな職業でもそうで、言動には厳しい制限があります。

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ところが、「予防医学」という「医学」が出てきて、医師は「故障の修理」から「設計」の方に進出してきました。

その時に、予防医学というのはこれまでの医療と決定的にどこが違うのか、それは社会が医学に期待しているものか、予防医学の成果はどのように活かすのかということが十分に議論されませんでした。

つまり、自動車修理工がある時に自動車を設計する側になり、ドライブはまったく楽しくないが、故障はしないという車を作るようなものです。

確かに「故障しない」というのは自動車の大切な性能ですが、故障しなければ、ガタガタした乗り心地の車でも、エンジンを手回しでかける車でも良いとか、燃費が悪くても良いという訳ではありません.

「病気しなければ人生が楽しくなくても良い」というような、バランスを失したもの・・・突然、治療の医療が、坊さんになったものがメタボリック・シンドローム、禁煙運動、減塩食事、休肝日などでした。

人間はおいしい物食べたい、お酒を飲みたいというような欲求があります。また、自分の体型そのものもその人の好みでもあります。ですから、腹回りが86センチはケシカラン!など狭い了見の修理工と同じようなことを偉そうに言ってもらっては困るのです.

自分の思うことをやり、太く短く生きたいという考えは立派なものです。その人がよく考えた人生設計に合わせて、周りはやわらかく忠告するにとどめるのが大切で、一人前の大人を捕まえてまるで子供のように強制的にある基準に沿って従わせるというのは実に不快です。

官僚や医師がこのようなことを押しつけるのは、「自分たちは庶民より偉い、庶民は自分の人生すら考えられないから俺たちが考える」という傲慢な心が見え隠れします.

人、それぞれの価値観を尊重し、専門家は専門の立場から緩くアドバイスをするような気持ちのよい社会に住みたいものです。

(平成23224日 執筆)