どうしたら幸福な人生を送ることができるだろうか?

ほとんどの人が人生で一度や二度は考え、そして悩みます。でも、すでに「どうしたら幸福な人生を送ることができるか」は分かっていて、しかも「100人が100人、幸福になることができる」ということもハッキリしているのです.

「えっ! そんなことがあるの? 幸福になる方法が分かっている?!」ホンマでっか?!と驚かれるでしょう。

事実、世間を見ると不幸な人が多いのも事実です.なぜ「幸福になる方法」が分かっているのに不幸な人が多いのでしょうか.

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今から2500年ほど前にお生まれになったお釈迦様、2000年ほど前のイエス・キリスト、そしてソクラテスや孔子以来の多くの哲学者は、「幸福とは」について、すべて同じ事を言っておられます.

そこで、私の考えはまったく触れずに、人間の歴史で「偉い人」と言われている方が「幸福について」語られていることをそのまままとめることにします。

1)   人生に目的はない
人間は頭脳が発達しているので、人生に目的を求めようとしますが、実際には人生には目的がありません。それを無理矢理捜すものですから、結果的に不幸になります(と偉人はそろって同じ事を言っておられます。)
(私は「目的の無い人生」を送ってきました。高校から大学にかけては「人生の目的は?」と悩み、それは32歳まで続きましたが、その後の私は目的を持たない人生を送ってきました。)

2)    自分のことを第一にした人生は寂しい
愛情溢れたお母さんは別にして、普通の人は「自分が良くなりたい、自分が得をしたい」という事ばかりを考えていますが、人間が集団性の動物であるかぎり、自分のことではなく、他人のことを第一にすると人生は幸福になる(と偉人は言っておられます。)・・・朝起きてから今まで、自分の事だけを考えていたのではないか?そう思うのも、このことに気がつくのに役立ちます.

3)    貧乏や病気はかえって幸福になるチャンスが多い
このことは説明するまでも無いように思います.毎年数10億円を得ていたタイガー・ウッズが女性問題を起こして記者会見した時の彼の言葉は「お金を得なければ良かった」というものでした。

そして、人生を幸福にする唯一の方法は、「暇にならない」ということです(と偉人は言っています)。

人生に目的はなく、他人のために動き(dedication)、貧乏も病気もなんの問題もない・・・ただ、忙しいことだけが人生を幸福にする。

このことが分かると、「なんでも他人のために引き受ける」ということがもっとも大切であると気がつきます.でも、人間には錯覚があります。人生の目的が無いと不安だ、他人のために働くのはばからしい・・・などと錯覚してしまうのです。それは錯覚なのです.

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若い頃から何でも他人のために引き受けること、それを私は、「デディケーション」と言い、「優しいお母さん方式」と言ってきました。

何でも快く引き受ける、それも自分の損得とは関係がなく、時には他人のために辛い思いをしていると、自然に回りの人から信頼され、頼りにされ、好意を持たれ、連絡をしてくれるようになります。

その反対に「自分が得をしよう」と思うと、多くの場合、他人は損をしたり、イヤな思いをしたりするので、長い人生ではそれが蓄積されます。

かつて私は「電話がかかってこない人は不幸になるだろう」と言っていたことがあります。イヤな人、やってくれない人、面倒な人には他人は電話をかけてきません.

「あの人に電話をしてみよう。なにかしてくれるかも知れない」と思われるようになりたいと願っていました。でもそれは「期待される」とか「頼りにされる」ということではなく、結果的には自分の人生が「暇にならない」という事だったのです。

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お掃除でも、お茶を出すことでも、文献を調べることでも、重たいものを持つことでも、病気の世話をすることでも、電車で自分は座らないで他人に座ってもらうことでも・・・自分の損得から離れれば他人のためにすることは無限にあります。

それが結局、自分を幸福にする・・・そう偉人は教えてくれています.

なぜ、不幸な人がいるのか?・・・それは、「人生に目的を持つと幸福になる、自分が得になることをすると幸福になる、お金持ちで健康だと幸福になる」という錯覚を振り払うことができないからです。

目的を捨てれば、自分の得を捨てれば、それだけで幸福になるのに、それは目の前にあるのに・・・残念なことです。

私がこのシリーズのタイトルを、「辛い「人生」を楽しい「時」に」と少し釣り合いの悪い(「人生」と「時」は質が違うから)ようにしたのは、実は

「辛い人生は、忙しい時を過ごすことで楽しいものに変わる」

ということだからです。そして最後にパスカルの言葉を引用しておきます。

「我々の惨めさを慰めてくれるただ一つのものは気を紛らすことである」(パンセから)

(平成23211日 執筆)