中国は結婚しても別姓ですが、これは日本で解釈されているのと違い、
「結婚しても夫婦ではない.妻は子供を産む機械だから、子供が生まれない場合、簡単に離縁するために別姓にしておく」
という意味だからです。また、
「結婚しても夫の姓にはしない。妻は「同族」には入れない.妻はいつ裏切るかもしれないから別姓のまま」
と言っても良いと思います。つまり、中国では女性はやや人間ではないという考えが込められているから夫婦別姓という制度が続いて来たのです。
日本で女性の権利を主張する人が、時に中国の例を引いて夫婦別姓を唱えていますが、もう少し他の国の文化を勉強して欲しいと思うこともあります。
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これに対して日本は古来から「男女平等・役割分担制」ですから、結婚して本当の夫婦になるシステムになっていました。
そして100年ほど前までは日本の産業はほとんど農業でしたから、「田畑」を中心に社会が作られていて、そのために「田畑=家」が単位になっていて、家に「嫁入り」か「婿入り」することで「夫婦」の単位を作ってきたのです.
現実には「婿入り」より「嫁入り」の方が多かったので、結果的には「結婚したら夫の姓になる」場合が多かったと言うことです.
工業や商業が主力になった社会では、本当の夫婦のためにどのようなシステムが良いかは新しく考えなければなりませんが、その前に、「夫婦とは何か」をハッキリさせておきたいと思います。
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「夫婦」というのは何でしょうか?
法律的には男女が結婚届を出せば夫婦です.
心理的には愛していれば夫婦にもなれるはずです。
生活的には毎日、一緒に住んでいれば、「内縁」でも「同棲」でも夫婦でしょう。
でも、私は違うと思います.結婚してしばらくすると「男女間の愛」は「家族としての愛」に変わります.また、ある期間、単身赴任などで別居していても夫婦は夫婦です.だから、「愛情があるから夫婦だ」ということでも「同居しているから夫婦」ということでもありません。
「内縁」も「同棲」も夫婦と似ていますが、「夫婦」とは「家族」、「友人」、「親戚」、そして「社会」が夫婦と認めるという一つのハードルを越えているので、夫婦とは言えないと考えています.
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不幸にして夫婦が破綻して離婚に到る年は「結婚の4年目」が多いのですが、私はこれを「3年までは男女の愛、4年目から夫婦の愛」で、この乗り移りに失敗すると離婚する」と言っています.
つまり、「新婚」という雰囲気は6ヶ月、「結婚して家族の愛に変わるのに2年から2年半ほどかかり、そこでやっと「本当の夫婦」になると言う意味です。
本当の夫婦というのは、
1) 男女の愛と家族としての愛に満たされていること、
2) 生活を共にし、財産を共有し、結婚届を出して社会的にも認められていること、
3) 子供がいる場合には、次世代の子供を養育すること、
4) いつも笑顔が絶えず、苦しいときには助け合うこと、
が最低必要条件と思います。
もちろん、縁がなく結婚しなかった人、病気などで家庭を持てない人などもおられ、その人はまた別の人生を幸福に送ることができますが、だからといって「理想的な夫婦」ということが軽んじられてもいけません。
時として、「不幸な家庭が良い」と錯覚され(そんな本が多く出版されている)、シングルマザー、ニコニコ離婚などと言われますが、やはり、家族が助け合いながら楽しい人生を送るのがもっとも良いでしょう。
「結婚届を出しただけでは夫婦ではない」と思います。また、「男女の愛」は夫婦の愛とは少し違うようにも思います。
人間の場合、男性の性欲が頭脳活動で支配されるので、男女の愛は女性からの働きかけが大きな影響を与えます。
そうなると「女性の魅力で結婚した」という状態のままですと、「毎日、年を取った奥さんの怒鳴り声を聴いている夫が、外で別の若い女性から働きかけ」にあって浮気をするのも、ある意味で必然的と言えるからです.
つまり、その男性に、
「なぜ、結婚したの?」
と質問すると、
「若い時代の妻は優しくて(女性として)魅力的だった」
と答えるでしょう。つまり「男女の愛」なのです。ところが、もちろん年を取り、毎日、がみがみと眉間にシワを寄せいていると、魅力は無くなります。
その時に、夫婦の愛が男女の愛から家族としての愛に変わっていれば、家族ですから、年齢や女性としての魅力を越えたものになっています。だから、容易には外の女性の誘いには乗らないでしょう.
女性の魅力を駆使して結婚した奥さんが、結婚したり子供を生んでから女性の魅力を捨てたら、夫は奥さんがかつてしたこと、女性の魅力に負けて浮気をするのはやや必然的とも言えるからです.
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ここでは、夫婦のことを書きましたが、だからといって人間社会には男性と女性がいるのですから、男女の関係があまりに固定的なのも問題で、ある社会秩序の中でこの世にいる男女が楽しく人生を送るようなルーズさも必要なのかも知れません。
(平成22年11月27日 執筆)