医師(病気を治す医師)と教師(高等学校までの教師)はさまざまな点でとても似ています.

「一人前の成人」として日本国の一員となり、選挙権を持って「責任を持つ立派な大人」であるためには、「健康」であり「教養」が無ければならないと言うことになっています。

もちろん、社会にはさまざまな人がおられるので、病気でも教育を受けていない人(かつては文盲、引き算ができないなどの人)でもそれ自体はなんら人間としての価値を損なうものではありませんが、それでも、「一応、社会の主力からは遠ざかっておいてください」という事になります。

その代わり、社会は病気の人や教育を受けていない人を「一人前」にして社会に復帰、あるいは入るところまでにする義務を負います。

そこで、医師(病気の人を治療して健康にする.そのために他人の体を傷つける事も認める)、教師(教育の無い人の頭脳を整える.時には叱ったり懲らしめたりすることも認める)という2つの職業を持つことになりました。

「健康診断や病院」、「義務教育や学校」がそれに当たります。

・・・・・・・・・

でも、時にはお医者さんや学校の先生が、社会から預託を受けていることを拡大解釈してしまうこともあります。

たとえば、健康な大人に「予防医学」を強制したり、読み書き計算を教えれば良いのに「とんでもなく難しい事」が覚えられないとしかりつける先生などがそれに当たります.

確かに、人間は「より長く健康に生きる」とか、「自然の原理や社会のしくみを高度に知る」ことは人間生活を豊かにするために必要です.

でも、日本国の憲法では「大人」には「基本的人権」を与え、その人の自由な判断に任せています。そのかわり「勤労の義務」、「納税の義務」を課しています。

つまり、「教育を受けた健康な大人」は「働いて税金を納める」ことを求めています.

もう一つの国民の義務は「教育を受ける義務」ですから、「教育を受けて健康で働き、税金を納める」のが日本国民の最低の行動という事です。

・・・・・・・・・・・・

最近、私が憂慮していることがありますが、それは「予防医学」と「過度の試験」です。

私は物理が専門ですから、微分方程式、熱力学(エントロピー)、質量保存則などを知らないで、温暖化のことを話をされることに違和感があります。

極端に言えば、「物理も知らないで、人間らしい生活ができるのか!」と言うこともできます。でも、それは私が物理の専門だからで、ダンスの先生が「ダンスもできないで人間と言えるのか!」と言われれば、今度は私はグーの音も出ません。

人間には「こうした方が良い.これができた方が良い」ということは山ほどあります。特に人間は他の動物とは違い、食べて生きているだけでは「人間らしく」ないので、教養も、学問も、ダンスもスポーツも必要でしょう.

でも、そこにある限界をおいて、「今の健康」と「義務教育」だけは国民全体が守り、「予防医学」とか「大学、大学院」などは希望によって選択できるというシステムなのです.

・・・・・・・・・・・・

私はタバコを吸うことがそれほど良いこととは思いませんが、そうかといって、タバコを吸うのが日本社会の中で許されないことというほどではないのではないか?と迷っています.

社会のことは自分の勝手に決めたり、人を批判したりはできません。エントロピーを知らない人に「そんなことでは、人間の寿命も森羅万象も理解できないじゃないか、まるで動物だ」などと言ってはいけないのです.

知識がないということは人に迷惑をかけます。いちいち、物理的なことを説明しなければなりませんし、それにはかなりの電力などのエネルギーを必要とします。でも、人間は完全ではありませんから、生きているということだけでかなり他人には迷惑をかけているものです。

その点では、

「成人にならないとタバコもお酒も飲めない」

という規則は、

「本来はタバコもお酒も「愚行」かも知れないが、成人ならそれは自分で判断することだ」

という私から見るとごく常識的なことを言っているように思えます。

そして、もし社会の人の多くがタバコを嫌うようになったら、多くの人がタバコを吸う人を敬遠するでしょうから、自然にタバコは社会から消えていくでしょう.

もしタバコを吸う人が短命なら、自然淘汰でタバコを吸う人の数が減るでしょう。

「自分はタバコが嫌いだ。だから禁止しろ」という思想は非常に危険で、その延長線上には「締め付けるような社会、自殺が多い社会」になると思います。

「お腹の周りが85センチ以上の人はダメな人だ」と言わんばかりのメタボ騒動も同じです.「お腹の寸法があまり大きいと、病気になりますよ」ぐらいが良い。

他人を尊敬しない人、自分だけが偉いと思っている人、そのような人たちは、「自分が適当ではないものは存在してはいけない」という考えになりがちです.

もっと、一人一人の判断に信頼を持って、自由だけれど節度のある社会に住みたいものです.日本人は昔から、階級制や人種差別のような概念がなく、だれにでも深く頭を下げて「失礼なこと」はしなかったものです。そんな謙虚で誠実さのある人たちの中での人生はきっと素晴らしいでしょう。

日本人の考え方をある面で示している、一休さんや良寛さんは決して他人のお腹の寸法を測ったりはしなかったでしょう。

(平成221123日 執筆)