若い頃、大きな化学工場の技術者だった。今では考えられないが、時々、小規模な爆発事故があったが、当時は「化学工場は時々、火災が起こるものだ」とみんなが思っていた。
入社してしばらくして上司から繰り返し習ったことがある。
「火災が起きたらすぐ119番しなさい。自分で消火できないと分かったら、すぐ119番しなさい」
私はビックリした。その工場には大型で化学火災を消すことができる強力な消防車3台と、訓練を受けた専門の消防士が24時間、詰めていたのだ。
工場消防隊の基地は私の工場から車ならたった2分のところにある。それに対して119番通報で来る市営消防は到着まで10分はかかる。それなのに上司は「まず119番しなさい」と私に言った。
入社したばかりの私はいわば「一般の人」だったから、組織に入ったら、その組織を守らなければならないと思っていた。まして2000人が働いている大工場だから、その思いは強かった。
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上司が私に言った.
「私たちは、会社の「従業員」である前に「市民」だ。火災の時には市民は消防に通報する義務があるが、それは「公共の安全を守る」という意味で大切な事だ」
そういえば・・・と私は思い出した。法律かなにかの授業を受けたときに、自分が出した火災でなくても、火災を発見したら消防に通報すること、それをしないと罪になると教わった。
この社会は「みんなで安全を守る」ということが最低の義務であることは知っていた。このシリーズの前回に「市長が殺人したら、市長の命令に背き、市の損害があっても、警察に通報する」という話を書いたが、これも同じである.
「工場の消防隊に連絡してはいけないのですか?」と聞く私に、
「119番して市営消防に連絡したら、すぐ続いて工場消防に連絡しなさい。それが会社の社会的責任です。いくら自営消防を持っていると言っても、それは「家の中の消火栓」に過ぎません。私たちは火災が拡大して他の人に迷惑をかけることを防ぐ市民としての義務があるのです。」と答えてくれた。
119番するのに上司の許可もいらないと彼は言った。社会に反することは組織内で隠しておいてはいけないのである。火災を自分で鎮火したらその会社は批判されることがないが、会社に損害を与えても、市民としての義務を優先する.
大切な事だ。
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若くして私がこのことを知ったのは人生の宝の一つになり、深く会社に感謝し、その上司を尊敬している.人間はとかく「身内」を大切にしがちである.私たちが国家、社会の中にいることを忘れてしまう.
後にベトナム戦争の時にアメリカ軍の兵士が「民間人を射殺した事件」の判決を読んだことがある。
上官の命令でベトナムの民間人を銃で射殺した。その兵士が「殺人罪」で起訴されたのだ。これに対して兵士は「私は上官の命令で撃ったのです.軍隊では上官の命令は絶対です。もし撃たなければ私が射殺される。」と主張した。
これに対して裁判官は、「いかに軍隊であろうと、民間人と分かっている人を殺害するのは殺人である」と判断した。軍隊の中の規則より、人類共通の規則(殺人はいけない.戦争でも殺人が許されるのは「軍人対軍人」だけ)が優先するというのだ。
この判決は少数派かも知れないが、「組織と普遍的な原則」について深く考えさせられる.人間社会には「法と秩序」が必要であり、公務員や会社員も組織を守る義務がある。でも、その前提にあるのは、「私たちは人間である」ということに尽きる.
今回の尖閣ビデオ流出事件で、「どんなときでも組織の人間は組織の命令に従わなければならない」との意見を持っている人が多いし、それが本当かも知れないが、この際、「組織と社会」、「組織に属している人が命令を聞かなければならない限度」、そして「命令を聞かなくても良い限界とはどこにあるのか」について、議論を深めることは有意義と思う.
単に「命令だから守らなければならない」というコメントに私が抵抗感を感じるのは、「我々は従業員である前に市民だ」というあの人の声が耳に残っているからである.
彼は公務員である前に国民である.我々が彼を逮捕する前に、彼が暴露したビデオが「国民として明らかにすべきもの」だったのかを議論しなければならない。
(平成22年11月15日 執筆)