日本語で言えば、「妻」と「内縁の妻」だが、ドイツ語で言うと何となく感じが違う.それが言葉というのが面白いものであり、また文化と言語がつながっているという証拠でもある。
「フラウ」は妻だ。法律的に結婚した夫婦(マンとフラウ)のことを意味する.
一方、「フロインディン」は、男性にとっては女友達でもあり、お見合い中でもあり、内縁の妻でもある。
つまり、形式的には男性と同居している女性で、男性との間に子供がいてもいなくても良いが、法律的な結婚(神の前の契約)はしていない。
単なる女友達より深い関係で、結婚していないのだから、内縁の妻が日本語では近い関係だが、少し違う。「試しに一緒に住んでいる」ということもあるし、「結婚という契約はしたくないから」という場合もある。
考えてみれば、日本の「お見合い」というのは奇妙だ.確かに、単に紹介されたり、写真を見たりするより、一つの場所をもうけて信頼できる人に紹介され、食事をし、少しの時間だけれどデートをすれば何となく分かる.
でも、これから一生、一緒に暮らすかどうか決断するには足りないかも知れない。そこでドイツ人は「試しに何日か、あるいは何年か、一緒に住んでみる」ということをする。
それがフロインディンだ。
ドイツ人によっては「一人のフロインディン」と一生を暮らす人もいるし、「20人のフロインディンと生活をともにしたことがあり、そのうちの一人は5日だった」という大学の先生もおられる.
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男女関係には3つのパターンがある。
一つは、法律的に結婚し、共白髪までというパターン、
二つは、フロインディン、
三つは、行きずりの恋
である。日本では第一(正式な夫婦)と第三(浮気)しかない。
私はやや日本的な考えをするので、第一が良いように思うが、戦争が無くなり、男性が草食化し、女性が自立するようになったら、フロインディンというのを考えてみても良いのではないかと思うこともある。
たとえば、40才ぐらいの独り身の女性を考える.
今更、結婚もと思うし、かといって男性がいないと寂しいこともある。単にセックスだけではなく、家に帰ってきたときに暗い部屋の電気をつけるよりも、誰かがいた方がどれほど幸福だろうか。
だから、期間限定なし、契約なし、愛し合っていればしばらく一緒に住むという男女の形は、同性結婚などよりはるかにまとものように私には感じられる.
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1万年ほど前にメソポタミアに都市ができて以来、人間は戦いに明け暮れてきた。男性は戦って死ぬのが仕事であり、女性は家庭を守ってきた。
その中では法律的に縛られた夫婦という制度が貢献をしたのだろうけれど、「戦争が無くなった社会」では何が良いのか、私たちはまだ分からないでいる.
「平和」は良いことのように思うが、いつも戦争していた頃の社会をどのように作り替えなければならないか、考えることは多い。
(平成22年10月30日 執筆)