お釈迦様、イエス様、そしてマホメット様が「超・偉い方」であることは間違いない。なにしろお釈迦様は2700年、イエス様は2100年、そしてマホメット様は1500年、ずっと多くの人に尊敬されているのだから。

この頃、病院に行くと「患者様」というのを聞くけれど、「様」とつけても違和感の無いのは、上の3人に孔子様、ソクラテス様ぐらいにしておいた方が良いような気もするぐらいだ。

・・・・・・・・・

ところで、20世紀の初めにアメリカが「禁酒法」というのを作った. 禁酒法については拙著「大麻ヒステリー」に詳しく書いてあるが、ヨーロッパからの移民にカリカリきて禁酒法という法律を制定し、結果的にはアウトローの人たちを喜ばせただけだった。

アメリカは信仰篤く、キリスト教の国である

.

イエス様はお酒をどのように見ておられたのだろうか? ここでは聖書そのものを引用するのではなく、聖書に書かれたイエス様の気持ちを考えてみたい。

「敬虔な心を持って神を信じ敬え。そして美味しい食事とお酒を飲んで人生を楽しめ」

というのがイエス様の教えだと私は思う。

つまり、人生とは2つの面がある。一つは、人間は一人で暮らすことができない。だから大切なのは「他人への愛」である。

もう一つは、命は神が与えてくれたものだから、毎日の生活に感謝して楽しく生きることだ。だから、美味しい物を食べ、お酒を飲み、あまり悩まず、自分だけを考えず、自然のままに生きた方が良いよとイエス様は教えてくださる

.

お釈迦様はあまりに古い時代にお生まれになったし、イスラムの教えは私はあまり詳しくないが、お釈迦様はほぼ同じようなお考えだ。

だから、キリスト教のアメリカが禁酒法などというのは奇妙だが、イエス様の教える「敬虔、楽しむ」をはき違えて「敬虔」だけを強調した結果、禁酒法になったのだろう。

アメリカ人がイエス様の教えを理解していないのも不思議だが、事実は「神からいただいた人生を楽しむ」というところを忘れてしまった。それが人間らしいと言えば人間らしいが。

・・・・・・・・・

「タバコ」をイエス様にお聞きしたらどう言われるだろうか?

「神を信じ、敬いなさい. そしてあまり他人に迷惑をかけない範囲でタバコを楽しみなさい。」

といわれるように思う.そこでおそるおそる「副流煙の問題が・・・」とお聞きしたら、(推定だが)次のように教えられるだろう

.

「人は誰もが他人に迷惑をかける.一つ一つのことに気を煩わすのではなく、吸いたい人には吸わせてあげなさい。」

・・・・・・・・・

人間というのは、朝起きて歯を磨き、顔を洗い、ご飯を食べ、働き、そして寝るだけの生活をすることはできない。時に笑い、時に泣き、悩み、喜び、自棄になり、希望を持つ。

そんな人間には、神も、家族も、恩師も、お酒も、タバコも、時に葉巻やパイプまでもが必要なのだ。

タバコはサタンではない. むしろサタンはタバコを忌み嫌い、社会から追放しようとする人の心にあると私は思う

.

(平成221013() 執筆)