8月15日が来ると、戦争を思い出す.

戦争の思い出し方を大きく分けると、一つが「亡くなった人」を中心として弔うことで、3回忌、13回忌などと類似している.

もう一つは、歴史的事実として思い出し、反省したり、解析したりして未来に備えることである。

前者は心の整理のために行うもので、どちらかというと「振り返り型」であるのに対して、後者は「事実型」で心の整理がついていることが前提だ。

身内が亡くなると1回忌、3回忌まではかなり記憶もハッキリしているし、悲しみも深い。でも、人間は徐々に忘れて次の生活に向かうことも大切だ。

地方にもよるが13回忌ぐらいがおおよその関係者があつまる回忌で、それ以上は家族などが中心に行うことが多いようだ。もともと7回忌以上は日本でできたもの、33回忌になると「亡くなった方が完全にあの世に行かれる」ということで、50回忌が無いわけではないが、50回忌はすでにあの世に行かれた方を思うというように変わる.

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それでは、関東大震災、太平洋戦争、御巣鷹山など社会的な大災害はどうだろうか?

私の私見だが、ご遺族は別にして社会的には13回忌を持って「個人を忍ぶ」ということは終わりにして、その後は「再発を防ぐには」というような議論に替えていく方が犠牲になった方にもよいのではないかと思う.

ご遺族や個人的な感情は決められるものではないので、それはそれぞれの立場で続けられたらよいと思うが、公的行事、テレビ報道などは13回忌の後は、取り扱いを替えた方がよいように思う。

たとえば、「広島を語り続ける」ということが重要とされているが、その時に「亡くなった方、被爆された方」を中心にすると、どうしても個別のことに感情が流れ、全体を把握しにくい。

人間は難しいもので、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。」と言われるように、どちらのバランスも必要だ。私は13年で社会的な感情を流し、その上で人間の英知を働かせるべきではないかと思う.

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8月18日には千島列島のことを考えたいと思う.ここでも、北の守りについて戦争が終わっているのにシベリアに抑留されて無念の死を遂げた兵士が多い.

でも、その人たちの個別の無念さに思いを馳せていると、千島列島の問題はいつまでも解決しない。

彼らが死をもって守ってくれたものは、彼らを追悼することではなく、千島を守ることだったはずだ。今、彼らと交信できれば、「自分のことを弔ってくれるのは嬉しいが、我々の願いは日本が繁栄することだ」と言われるだろう.

13回忌を終わっても「風化」させると「忘れる」のではないかと心配される人がいるが、それは私たちの心の強さである。風化したから事実として消えていく訳ではない。

ご遺族やご関係の方は別にして、社会的には13回忌をもって終わりとして、新しい明るい社会を築くようにしたらどうだろうか? 関東大震災も、太平洋戦争や広島も、そしてジャンボジェットの事故も、今年をもって回忌は終わりにした方がよいというのが私の考えだ。

子供たちに平和の大切さ、事故の悲惨さを教える方法は「回忌」でなくても多くの方法があり、感情に訴えるだけが再発を防止できるわけではない。もっともっと「強い心」がないと、このような難しい問題を解決することはできない。

(平成22816日 執筆)