進化論を著したダーウィンは、ガラパゴス諸島の生物相を細かく観察し、考え込み、「種は変わる」という大原理に到達したのである。
ダーウィン以前は、「種は普遍である」とされていたのだから、それは大きな発見だった。
ダーウィンの進化論は正しいかどうかはわからない。もともと人間が考えることが正しいということはないのだが、とりあえず、一つ一つ積み重ねていくのだから仕方がない。
ガラパゴス諸島の生物がダーウィンの研究に役に立ったのは、いろいろな理由があるが、その一つが「外来種も少なく、気候も変動しなかったので、生物が多様化せず、繁栄もしなかった」ということにつきる。
1. 外来種が少なければ生物は衰退し、多様化が失われる、
2. 気候が変動しないと生物は衰退し、多様化は失われる、
というのが「事実」である。
1. 外来種を排斥すると生物が繁栄し、多様化する、
2. 気候が変動すると生物が絶滅し、多様化が妨げられる
というのが、守銭奴(お金だけの学者、NPO、環境省、NHK、朝日新聞)の「事実に反する広報内容」である。
正反対だ。
正反対になるのは、最初が「科学」であり、次が「お金」だからだ。私が「青虫を食べる学者」、「自治体にお金をせびるNPO」、「職を守りたい環境省や自治体」、そして「売れればよいだけの報道機関」は日本の害になり、そこに働く人が惨めに見えるのは、こんなことが続いているからだ。
学校で生徒に生物を教えている先生は、さぞかし切ないだろう。偉そうな顔をしている日本の指導層が、学校でも教えられないことを白昼堂々と言っているのだから。
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つい筆が長くなったが、今回、書きたかったことは日本の社会の矛盾ではなく、「純正と発展」ということである。
日本は世界でも「戸籍」がある珍しい国である。戸籍があるというのは「外来種」があまり来なかったので、「あなたはどこのお生まれですか」というのが意味があったからだ。
これが地続きで多くの国の人が入ってくるようなことがあれば、戸籍など作っても仕方がない。
その意味で、日本自身ももとをたどれば外来種だが、ガラパゴス的でもある。
もう一つ、今の人類がアフリカで誕生し、1万年前に温暖化になったので、アフリカからでてヨーロッパとアジアに広がった。その中でも日本まで到達した人類は、ずいぶん長い旅をしてきた。
日本より長い旅をしたのは、アメリカインディアンである。
彼らも日本人も、穏やかで平和を愛し、相手の論理を尊重するところがある。それは「長い旅行」がそうしたのかも知れない。
日本人には、いくつかの特徴があるが、長い旅をして日本に到達したという経験、ほとんど外来種(外敵)に遭遇せずに2000年を経たという歴史、によって支えられている。
それなのに、なぜこれほど優れているのだろうか?「純粋培養」も「競争環境と多様化」よりましなのかも知れない。
実は最近、学生と議論することがあって、「多様性の方がよい」と考えていた私は、「純粋でも優れたものはいる」ということに気がつき、自分の考えの浅さに赤面したことだった。
(平成22年6月30日 執筆)