「まだ あげ初めし 前髪の

林檎のもとに 見えしとき

前にさしたる花櫛の 花ある君と 想いけり」

この美しい島崎藤村の詩(初恋)に若い魂は大いに揺さぶられたものだ。

精神活動がまだ強かった明治の文化である。

「あゝをとうとよ、君を泣く、

君死にたまふことなかれ、

末に生れし君なれば

親のなさけはまさりしも、

親は刃(やいば)をにぎらせて

人を殺せとをしへしや、

人を殺して死ねよとて

二十四までをそだてしや。」

この歌は日本がロシアと戦った日露戦争の激戦、旅順口包囲線に参戦していた弟に当てた与謝野晶子の歌だ。

戦争中の反戦の歌だから、与謝野晶子の勇気をたたえたいが、それでも日露戦争は終わらず、大きな犠牲を払って日本は勝利した。

家族に死んで欲しくない、その心をこれほど強いメッセージで示しても日露戦争は戦争としてケリがつくまで続いたのだ。

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反戦活動には精神的なものが多い。・・・平和はかけがえのない・・・から始まってあらゆる人が平和の大切さを唱える。

どんな呼びかけも与謝野晶子の歌には負ける。

でも、戦争が少なくなった最大の原因は皮肉にも「原爆」であり、そして今でもアフガニスタンや朝鮮海域で戦闘が行われている。

「平和運動がなければもっと・・・」という緩い話をしなければ、やはり「反戦活動はなぜ成功しないのか?」という問いが必要だろう。

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当時の世界はヨーロッパとアメリカの白人が有色人種の国を「全部」と言ってよいほど植民地にしていた。

インドではイギリスが暴虐の限りの統治政策をとっていた。逃げ惑う数1000の住民に対して無差別に銃を発射するイギリス軍、インド人を並べて棍棒で殴り殺す・・・「あの丘に白く見えるものがあるだろう。あれは白骨だ」と言われた。

そこには常に占領軍に家族を無残に殺された人たちがいた。

反戦活動は次の質問に答えなければならない。

「日本以外の国はすべてヨーロッパの植民地になった。あなたの夫は職人だから、植民地になったら両手首を落とされる。それでよいのか、それとも祖国を守るか?」

事実、イギリスはインドの技術が発展するのを嫌ってインドの技術者の手首を大量に切り落とした。植民地は悲惨なのだ。

強盗がいる。その強盗がまさに自分の家に入ってこようとしている。もし侵入を許せばかわいい家族は皆殺しになる。それでも「平和のための詩」を聞かせて説得するのか?

そしてもう一つ。

今、アメリカはウソを構えてイラクを攻め、アフガニスタンに侵攻している。なぜ、それに強く反対し、日米の貿易を止めないのか?

そんなご都合主義の反戦運動はなにか意味があるのか?

私はよくご都合主義の反戦運動の中にいたことがある。そこでの主張のほとんどは「平和時の平和主義」だった。つまり、戦争の原因がない時、つまり強盗に襲われないときだけ「強盗が来たら説得する」という理屈を言って頑張る人たちだ。

厳しく言うと、そのような反戦運動は戦争を加速しているのではないか。

(平成22627日 執筆)