子供や青年はその国の宝である。

今の日本人は「お金、お金」と思っているので、時によっては「子供は年金のために必要だ」というような議論が横行しているが、子供や青年が大切なのは、私たちが築いた日本の後継者だからだ。

我々の世代で日本が終わるなら、我々はこんなに頑張らないだろう。だから、「年金のための子供たち」という議論を止めにしたい。

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ところで、サッカー・ワールドカップ:日本―デンマーク戦の直後の選手のインタビューをみて、多くの人が「立派な青年だ」と感じただろう。それぞれの青年に個性があったが、それでも、過度に喜ばず、浮つかず、礼儀正しく、清潔で、立派な青年だった。

彼らはなぜ、「立派」なのだろうか?

それはサッカーというスポーツ、世界を相手に厳しく戦い、国を代表していることから来ている。

私は本来、あまりサッカーが好きではなかった。ラグビーはチームが一つになり、トライをした選手もサッカーのようにチームメートを振り切るようにして観客にアピールすることもなく、喜びをかみしめてチームメート全体の力がトライを生んだことを体で表す。

それに対して、サッカーではゴールした選手だけが偉いようなそぶりを見せるから、それが嫌いだった。

ラグビーではまずみない茶髪、長髪が多く、年俸などが取りざたされるのも、私がイメージしている「スポーツ」と違っていた。

でも、その多くが日本のサッカーが三流だったからではないかと思った。もちろん、今まで日本のサッカーを育ててくれた人たちの努力があってここまで来たのだから、「三流」はひどいが、今日のインタビューをみて、素直にそう思った。

おそらく、サッカーは世界の多くの国のスポーツであり、日本の柔道のような「礼儀正しさ」を求めることは無理だろう。

でも、岡田監督が試合後にコメントしていたように「サッカーがチームプレーであることを証明したい」ということを発展させて、「日本が世界に誇るサッカ-」を作ったらどうだろうか?

内に秘めた闘志、ゴールをしてもチームとともに静かに喜ぶ選手、茶髪、長髪が減り、個性豊かなのがその外見ではなく、内面であるようなチーム、そんな夢を見た。

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ところで、サッカーの選手があれほど立派だったのは、「やることが前向きで、勝負をかけていること」である。内容が賭け事で、勝ち負けに関係がなければ人間はだれる。

今、多くの日本の若者は、外国との競争自体に疑問を持ち、隣国中国に経済的に負けるのを平気でいる。そのように大人が仕向けるからだ。

中国は国の発展のためにCO2を2倍にしたが、日本は半分にしようとしている。こんなことで日本の若者が将来に希望をもち、立派な人に成長することはあり得ない。

大人は、補助金などをもらって「今」をよくしようとするのではなく、日本の「将来」に目を馳せるようになってもらいたいと私は思う。

(平成22625日 執筆)