1990年以後、日本の政治は揺れに揺れてきた。それまでの自民党政治が実質的に崩壊し、新しい時代に必要とされる政策に切り替えられなかった。

それもやむを得ないかも知れない。

戦後の復興から高度成長を経てバブルの崩壊に至る45年間、「かつての自民党政治」で日本は大きく発展したのだから、その成功体験やあまりに長い権力の座にいてすっかり呆けてしまったのはわかる。

まず第一、に高度成長のあと、バブルが崩壊し、日本がなにを目標にすればよいかという解答は2010年になってもまだ得られていない。

もっと高速道路を造り、人工的なドーム都市を作り、河川の大幅改修を行い、積極的に埋め立てをして日本の国土を増やし、コーヒーを飲みながら通勤し、そして土日は家族で保養所に行く・・・というような生活を目指すというコンセンサスは得られていない。

むしろ、1990年以後、日本の環境は完璧なのに、「節約志向」、「よい子症候群」にとらわれて、大規模な社会改革のエネルギーを失ってしまった。

技術の面でも、それまでアメリカが先導してくれたが、アメリカに新規技術の目がなくなると、それだけで新規大型技術は一瞬にして誕生しなくなった。

科学技術立国というけれど、残念ながら戦後、日本を発展させた技術はすべてアメリカが発明したものを、単に少し改良したに過ぎなかった。だからアメリカから新技術がこなくなると、日本の工業は成熟した。

日本は政治的、軍事的、経済的にアメリカの属国であり、それはとても残念なのだが、実は技術も属国だったのだ。

“・・・Pad”と呼ばれるものに若者が飛びつき、売り出しの数日前から並ぶ現象は戦後、ずっと変わっていないのである。

1990年からのこのような状況の中で、一時的に小泉首相の「自民党をぶっつぶす」というかけ声に同調したものの、競争社会に突入するのをためらい、安部、福田、麻生政権を誕生させた。

そしてさらにこの迷いがなにも解決しないまま、民主党政権になった。民主党、自民党政権も毎日の新聞報道で大きく揺らいでいる。

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政治が悪いのだろう。なにしろ政治の最も重要な役割・・・「明確に将来像を示す」・・・が果たせないからである。

でも、マスメディアも問題だ。あれほど多くの時間を使っても、「日本はこれ以上、豊かになるべきか、節約で貧困に甘んじるか。勉強を奨励して優れた人材が欲しいのか、ゆとりの教育でほのぼの人間を作るのかもはっきりしない。

私が環境問題を指摘するのも、1990年以来、現実的に環境問題が存在しないのに、目の前の環境利権だけを追って、徐々に日本を痛めていることをはっきりさせる必要があると思うからだ。

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ここで私の将来イメージを語ってもあまり意味はないが、私はその著作活動で、次のような日本を描いてきた。それは、

1.  日本文化と風土を大切にする。

2.  戦後60年、名目ともに独立する。

3.  幸福な人生は物質的豊かさでは達成されない。

4.  国際競争の中で負けると惨めになる。

祖国に誇りを持ち、他国の下にたたず、国際競争に勝つことが、明るい社会の前提であると私は思う。もし国際競争がなければかつ必要はないが、人間は動物だから、勝たないと幸福の前提条件はない。

今では軍事的意味での植民地にはならないが、経済的、精神的意味での植民地の危険性は高い。

それと「人生の幸福」とは違う。違うけれど矛盾はしない。現代の問題は、「物質的な豊かさは人生の幸福とはつながらない」、だから「他国に負けてもよい」と言っているが、全段と後段は矛盾している。

物質的な豊かさは人生の幸福につながらないが、負けてばかりいる人生で幸福になることもない。子供に元気がでないからだ。

今回の政変は、いろいろな意味で時代の推移をはっきりと見せてくれた。そして、小泉郵政選挙における自民党の圧勝、前回の安部参院選挙の自民党の惨敗、そして2009年の民主党の大勝は、時代の流れであるとともに、その解釈を専門家はことごとく間違ってきた。

そのことが日本の政治の大きなブレの原因となっているが、実は国民が主人であることを考えると、我々自身が歴史の変化と自らの将来像を描けなかったことによるのだろう。

参院選挙を前にして、主人たる国民が専門家の言動に左右されず、よくよく考えるべきと思う。

(平成22624日 執筆)