前回に書いたように「歴史の認識」というのは個別の歴史的事実ではなく、その事実の積み重ねが、一般の自然の原理に合致している事件と、自然の原理に反する事件を分類し、自然の原理に反したものだけを抽象的に覚えればすむことになる。

そして、偶然の揺らぎを別にすると歴史的な事実が自然科学の原理原則に従っているなら、歴史学と自然科学は融合すべきであり、科学の一般法則を導き出す一つの手法と化すこともできる。

このように書くと、筆者が歴史学者ではなく、自然科学者だからそういうと考える人もいるだろう。でも、歴史とは何か、歴史の認識とは何を行っているのかをできるだけ客観的に理解しておくことが大切だから、学問を糾合するのは決して邪道ではない。

 でも、ここまでは元素のような単純な物質と歴史の関係である。

 次に、地球上に生命が誕生してからの様子を見てみると、地球上の水(水素の酸化物)と空気(原子の地球の大気はCO2だけ。炭素の酸化物)が「生物」という触媒の元で反応して、炭素(石油など)と酸素(空気中の酸素)を作り出したことに始まる。

 「命」というのは特別なもののように感じるが、それは人間自身が「命」を持つ物であるが故の錯覚であると考えられる。つまり、人間は「己」だけを「他」のものと区別して特別なものであるとしたい強い欲求があり、それが思考を曇らせる。精緻な学問的議論をするためには、「己」を取り去る必要がある。

今から37億年ほど前、「水と大気」の反応が始まった頃には大気中のCO2は現在の1000倍程度あった。現在の大気のように窒素と酸素はほとんど無いのだが、それは当然である。酸素はCO2から出来たものだからCO2の反応が進まないとできない。

また、窒素はもともと数%はあったのだけれど、CO2が無くなったので目立ってきたということだ。その時代にもっともメジャーなもの、威張っているものが滅びればその陰にいるものが主役になる。単にそれと同じである。

一方、あれほど栄華を誇ったCO2は、生物の反応によって失われ、今は0.04%になって、生物はその活動を終わろうとしている。

つまり、生物の誕生という高度な変化も、「この世の物質は、衝突しなければ、相互に無関係である」という制約のもとで時を過ごしてきた。黙りこくっている10人の人がいる真っ暗闇の部屋に入った人が、誰もいないと認識するのと同じである。物質は数が少なくても衝突数が多いと反応する。そしてついに反応対象を失って衝突がまったく無くなればすべては終わりになる。

 とどのつまり、現在の生物が誕生したのは、宇宙が出来たときに水素、炭素、酸素が多くできたので、水とCO2を反応させる物質が自然に誕生したのであり、それが尽きると死滅する。

また、ヨーロッパに戦争が多いのは人口密度が高く衝突回数が多かったからであり、日本に融通性の高い穏やかな民族がいたのは、アフリカから遠く全ての文化を経験しながら日本に渡り、その先が太平洋だったことによる。日本人の歴史の認識の中には、かつてアフリカからの遠い旅で経験した文化が全ての人に存在する。

 このように、人間の歴史も宇宙の原理原則と反することはないが、前章で述べたように人間は「物質的および精神的存在」なので、「あれば反応し、無ければ終わる」という物質界の原則と、「自らの精神的活動によって人間独自の活動する」という2つの面を持っている。

人間の精神的妄想は、 1に示したように人間がDNAを大きく上まわりDNAの命令に背いて自らの後天的に獲得した情報で動く最初の動物であることが原因しているとも考えられる。

従って、たとえ物質的な原理原則に反して、「どこまでも東進しなければならない(アレキサンダー)」、「領土は拡大しなければならない(チンギスハーン)」とか、「どこまでも西進しなければならない(アメリカ)」として空間的法則に反している歴史的な事実は、それが自然の活動に反する故に短期間に崩壊したのかを検証することも必要だろう。

 人間の精神的な活動は、CO2が大気中にある限り永遠に続く。それは、「人間の関与する空間だけを縮めることができる」という人間の作用による。人間は自分の回りだけの空間を縮めて逆に回すことができる。これが現在のいわゆる環境破壊であるが、自分の部屋を冷房すると、回りは冷房に要した熱の数倍の熱を出して、余計に暑くなる。

でも、人間はある部屋の中にさえ入っていれば、外の気温には影響されない。しかし、その人の一生やその社会全体では空間が膨張することの影響を受けるので、やがて空間の増加によって変化していく。

 歴史的に見ると、かつて四つの地域(四代文明:別の説もあるが)に文明と人間がいたのに、今では世界中に拡散している。大航海も含めてこの現象は「空間が膨張する」という原理に基づいていて、決して元に返ることはない。

そして地球全体に人類が拡散すると人間が前進することができなくなり、衰退していくはずである。また人類は今、石油や石炭を使っているが、これは「狭い場所にぎっしり詰まった炭素」を「大気という広い空間に炭素を放出する」という行為であり、これによって人類自らの活動を得ることができるが、石油や石炭がすべて大気中に拡散するとそれで人類が使用する炭素系エネルギーは終わりになる。

 従って、無限に見える精神的な活動に基づく活動も、場所が創造されるという制限によってすこしずつ狭い閉鎖空間に向かっていると考えられる。つまり、精神活動は時間と空間の拡大の補償として劣化を続けるかも知れず、現在のところ精神活動は、時間および空間の創造に対抗できないと考えられるからである。

このようなことが人類の歴史を形作ってきたが、個別の詳細についてはこれを読まれる方の多くが歴史を熟知していることなので、割愛する。

 さて、「現在の人間の認識の中に歴史というものはどのように組み込まれ、それが行動に利用されようとしているか」ということ整理すると、次のようになる。

 前に述べたように、人間の認識を支配する要因は、元素構成、DNA、ミーム、アフォーダンス、ミラー・ニューロン、それに学習的脳情報、非学習的脳情報の7つがある。

この中で「組み込み情報」に分類できるのが、元素構成、DNA、アフォーダンス、ミラー・ニューロンであって、おおよそ1万年前までの歴史の認識を含くみ、宇宙の歴史、生物の歴史、サルから人間への変化、ネアンデルタール人が墳墓を作るようになったことなどがある。

ちなみに生物学的な人類の誕生は約550万年前であり、ネアンデルタール人の文化は15万年前であるので、この歴史的経験は、元素組成とともに組み込み情報に入っていることになる。

しかし、組み込み情報が1万年以前の経験から獲得されたものとは限らない。たとえばわずか数10年で日本人の背や鼻が高くなるなどの変化が起こることは経験的にもよくわかっていて、あまり過度に「遺伝情報は固定的」と解釈するのは問題がある。

一方、「書き換え情報」は、ミーム、学習的脳情報(大脳皮質)、準学習的脳情報(大脳深部)にあり、数100年の歴史で改変されるので、強く歴史、文化などの時間的な変化を含んでいる。

この中にはさらに幼児期からの「学習」、「歴史の物語」で得られる歴史がある。学習的な脳情報は書き換えおよび解析の能力が高く、また人間が自分自身で認識することができるので(たとえば、ミラー・ニューロンの概念は研究によってその事実が明らかになるまで、人間はその存在を認識することができない。)、学習的な脳情報によって自らの認識が決定されているような錯覚に襲われる。しかし、それは認識の項目数としては人間の認識を決定する7つの要素の中の一つに過ぎない。

人間の歴史でもっとも注目されるのは、時間と場所の創造によって、他の活動がより制限される条件に向かうと考えられる。時間はあと100億年以上は増え続けると考えられているので、まだ余裕があるが、空間の方は、15世紀に地球上の空間の拡大が行われ、現在では宇宙空間へ拡がろうとしている。

地球上の空間が拡大の余地が無くなった18世紀にはイギリスで産業革命と呼ばれる物質の拡大が始まり、それは200年を経た今日にやや鈍化が見られる。それに変わって20世紀の半ばにノイマン型コンピューターと半導体が誕生して、情報の拡大が行われている。

空間、物質、それに情報の拡大が終われば、人類はその拡大の「原資」を失う可能性もある。仮に生物を構成している、体(物質)、頭(中枢、情報)、動くこと(空間)が拡大を終わると、拡大する要素は人間を構成しているもの以外に求める必要が生じるからである。