日本の大人なら次の3つのことを慎重に考え、議論しておかなければならないだろう。大人の判断一つで子孫は大きな影響を受けるからだ。
・・・・・・第一・・・・・・・・・
国内には警察がいて、犯罪を予防してくれるが、世界には警察はない。
本来、警察の役割をするのは国連だが、国連は「紛争が起きなければ出動しない」ので,警察の役割は果たしていない。
社会における警察の役割は、犯罪の未然防止と犯人の逮捕だが、警察官がいるだけで予防(抑止)ができる。世間もそれを警察に期待している。
国連の代わりをアメリカがやっている。私はアメリカに世界の警察の役割を期待するのは現実的でやむを得ない面もあるが、やはり抵抗がある(反対!)。
世界の陸地は、その国が領有しているので、そこには警察や軍隊がいて,治安の維持に勤めているが、海は誰もいない。
世界の海には警察がいない。これを理解している人は結構、少ないので、驚くことが多い。海は無防備なのだ。
・・・・・・第二・・・・・・・・・
日本は世界の海上貨物輸送の15%に関係している。主として日本人が食べる穀類の4分の3、エネルギーのほぼ100%、そしてそれを輸入するための外貨を稼ぐ工業製品だ。
いずれも日本人の生命線で、生存に関係している。
つまり、世界の船の15%と言っても良いし、世界の海の面積の15%と言っても良い。それを日本は利用している。
海の利用に対して、日本人は義務を果たしているだろうか?
世界の海が無法地帯であり、それを利用するためには、日本人は何をしなければならないだろうか? 日本人が子ども(誰かを頼る存在)ではなく大人(自分で責任を持つ)とした場合だが。
少し前まで、日本の船はアメリカを中心とした外国の軍隊に安全航行を求めていた。
ある海域にどこかの国の軍艦がいないと、その海の貨物船は「襲われたら,船員は死に,荷物はかっぱらわれる」という状態だ。だから、世界の海は各国海軍が守っている。
日本には自衛隊があるが、少し前までは自衛隊の艦船は「日本の船は守ることができるが、外国の船は守れない」という制限があった。
そうすると日本の自衛隊の艦船がいても,他の国の船は守ることができないので、他の国はダブって軍艦を派遣する必要がある。つまり「他国の船を守ることができない」という自衛隊の艦船は「いてもいなくてもよい」ということになっていた。
現在では自衛艦が他国の船を守ることができるので、この矛盾は解消している。
・・・・・・第三・・・・・・
日本は60年前に戦争に負けた。そして武装解除されて、それ以来、憲法の定めに従って正式な軍隊を持たない。
でも、軍隊を持たないのであれば、他国の船が来て日本人を拉致しようが、領海を侵犯しようが,さらには日本に向かって食糧を運ぶ船を襲おうが、日本人は黙って堪え忍ばなければならない。
ところが日本人は拉致された人が可哀想と言う。
そんなことを言ってもわずか1万2000人の海上保安庁では、日本の長い海岸線を守ることができないのは当然だ。拉致がこれほどの問題になり、多くの人が拉致された人に同情しているのに、また拉致がおこっても守ることができないようになっている。
私から見ると、今の日本人は「同情するが、対策は打たない」という女子高校生(失礼!)のような感じに見える。
今のように日本は日本人そのものや食糧を守らなくても良いと言う判断もあり得るが、その場合は拉致されても,餓死しても文句を言ってはいけない。それは「大人のとしての」私たちの最終的な判断だからである。
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果たして日本は、日本人と日本人の生命を守ることができるのだろうか?それだけの誇り高き民族なのだろうか?それとも、いつまでも「人の世話になります」という惨めな民族なのだろうか?
(平成22年6月18日 執筆)