松尾芭蕉の有名な句に、

「五月雨をあつめて早し最上川」

というのがあるが、「梅雨」というジメジメした感じより、少し激しい印象だ。

そういえば、芭蕉の句にはあまり梅雨のものは無いようにも思う。

「梅雨気だち薪の渋ると妻が言ふ」

という臼田亞浪の句の方が私の梅雨の感じと合う。

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気象庁が「梅雨入り」を宣言したかどうか,いつが「梅雨明けなのか」と毎年、マスコミが騒ぐ。

時には「梅雨明け宣言をしたのに、まだ雨が降っている」などと言いがかりを付ける悪質マスコミがいるが、もともと「梅雨入り、梅雨明け」というのはマスコミが求めて気象庁が応じたものと記憶している。

でも、気象庁が判断するとなると「梅雨前線が日本列島の上に停滞したら」という味気ないことになるが、人間には五感がある。

「梅雨気だち薪の渋る」

というわけだ。梅雨になると何となくジメジメする。薪は渋るし、スキャナーに入れる紙は連れ子になる。それで梅雨入りを感じることができる。

私は湿度が高くなると髪がチリチリに巻く。つまりクセ毛なのだ。

不思議なことにどんなにカラッと晴れていても、梅雨に入るとその日から手が付けられない。クルクルッと巻いて言うことを聞かなくなる。

今年の「私の梅雨入り」は6月4日だった。その日から晴れていようと何だろうと、私の髪は整髪料では始末ができなくなった。

東海地方の梅雨入りは6月13日と発表されたが、それは気象庁の梅雨入りであり、私はすでに梅雨に入っていた。

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人間は感性に生きる。私が「ああ、良いな」と感じるのは、風呂に入ったとき,美味しいと感じるとき,そして心温まるときだ。

決して、数字で表されるもので満足を得たことはない。

梅雨・・・世知辛い世の中だが、ゆったりと庭を見て、この日本独特の季節を深く感じたいものである。

(平成22614日 執筆)