(平成22年6月11日 執筆)
日本と日本人は世界でもまれに見るほど素晴らしい国と国民だ。でも、欠点(同時に長所)はある。
その一つはよく言われるように「熱しやすく,冷めやすい」というのがある。
かつて「巨人・大鵬・卵焼き」の時には、ほとんど全部の日本人が巨人と大鵬のファンのように感じられた。
ある時には「甲子園」一色になり、職場では夏の甲子園の話をしなければ仲間にも入れてくれないという時代もあった。
今、思い出すと滑稽な感じすらするが、日本中が甲子園一色の時、私も出張のわずかな時間を割いて、甲子園に駆けつけ、怪しげな切符を手に入れて、観戦したものだ。
私も日本人で、高校野球を推し進めていた朝日新聞にすっかり乗せられていたのだろう。
確かに高校野球はスポーツとしても面白いし、あのさわやかさは年齢がもたらすものだから決してプロ野球では味わえないものだ。
その点で、高校野球の観戦に熱中するのは悪くないと思うが、それでも20年経った今,サッカーのワールドカップがあたかも国の運命を支配するようにテレビで言われているのを見ると、私のようなスポーツ好きでも、いささかげんなりする。
流行というのがあるから、人間社会の関心が移っていくのは事実であるし、また悪いことでもない。でも、日本の変化は少し極端だ。
私の学問の世界では、アメリカやヨーロッパの学者は先端的なこともしているが、伝統的な分野もそれほど研究が減っている訳ではなく、そこはそこでガッチリと進めている。
つまり、一時代前に流行した学問も、そこに興味を持っている学者はその領域から離れることはない。
ところが、日本の研究者は変わり身が早いというか、関心が移るのか,それとももともと学問にはあまり関心が無く社会の評判が気になるのか、その時代に流行る学問に研究者が集中する。
いとも簡単にそれまでの自分の専門を捨てる。
もしかすると、パッと散る桜の花が影響してるのか,それとも武士がいなくなって、みんな儲かればよいという商売人になってしまったのかと心配になる。
でも、それがまた日本の科学技術の進歩を促しているのだから、悪いとばかりは言えないが、日本人の性質を良く表している。
リサイクルの話が進んでいた1990年代の終わりのころ、日本で「家電リサイクル」をするかどうかという問題があった。
なにしろ簡単に言うと,「中古で売れる」家電製品を「庶民から逆に5000円を取って引き取り」、「リサイクルすると言って半分を転売する」という制度だから、外国では実施が難しい。
そこで、経済産業省は、「この制度は日本がリードするしかない。日本人はマスコミを使えば「家電リサイクルが必要だ」ということになるし、家電業界はまとまっているので、言うことを聴く」と言った。
事実、まったくその通りになった。
家電リサイクルはこれも簡単に言うと「サギ」である。「リサイクルする」と言って5000円とり,その半分を中古として転売する。これだけでも立派なサギだが、国ぐるみのサギなので、検察も逮捕しないし、国民も古いブラウン管のテレビがリサイクルされていないことを知っているのに、見て見ぬふりをする。
さらに日立の冷蔵庫のように、リサイクル材料を使っていないのに,使っているとウソをついて、こともあろうに「環境大賞」を取って、それをセールスに使うのだから、世も末のような感じがする。
それでも「世論操作」が容易で、純朴で素直な国民性,一つのことに熱中してすぐ忘れるあっさりした性格が日本独特の行動をもたらしている。
今や、政府,広告代理店、NHKが組めば「事実でもないこと」を「事実に見せる」ことはいとも簡単になった。
ツバルはその良い例であり、「将来」ではなく「今」のことでも、そして航空写真を見れば直ちに判ることでも、世論操作をすることができる。
まして,温暖化の他の問題のように「100年後」となると幾らでもウソはOKという感じだ。
この「熱しやすく,冷めやすい」という社会風土も悪くはないが、それを悪用しようとする人たちが多くなったので、やはり防御が必要だろう。
イラク戦争ではイギリスで当時の首相も呼んで、「なぜ、ウソを構えて戦争に入ったのか」という証言を求めている。
粘り強いイギリス国民だからこんなことができるのだという感じだが、日本の少しこの種の方法を導入したらどうだろうか?
郵政民営化では、郵貯のお金がアメリカに行き、その返礼としてアメリカから1兆円が小泉元首相に、2兆円が竹中さんに行ったと言われているが、真偽は判らない。
こんなことでも、もしイギリス流の公開の委員会が開かれれば小泉さんと竹中さんの冤罪が晴れるのではないだろうか?
温暖化でも、「京都議定書で1990年を基準にしたので日本ははめられた」とか、「NHKは1990年基準でCO2を80%増やしたのは本当か」などの証言を求めると日本社会は明るくなり、あまりに過度に何かに集中することが無くなると思う。
私たちもそろそろ大人になる時期ではないだろうか?