外科医がなぜ「他人の体を傷付けても傷害罪にならないのか?」という疑問は、「医師は野戦病院で敵兵の治療を行って良い」ということに論理がある。
戦争というのは「良いこと」ではない。特に戦争は「人を殺したり傷つけることを目的にしている」という点で、医師という職業とまっこう反するものである。つまり、医師は病人やけが人に対して治療を行い、健康を取り戻すことを目的にしているのだから、わざわざ「傷つける」ことを目的とする戦争など賛成するはずはない。
だから、戦争に直面して、医師は「反戦活動」を行うはずだ。つまり「ケガの元になる戦争を止めさせる」のが、ちょっと考えると医師の最大の責務のように見える。
ところが、医師は反戦活動をしない。「戦争をするかどうか」はその国の政治的判断によるものであり、医師の職業範囲ではないからである。
そこで、医師は黙って前線に野戦病院を作り、負傷した兵士の治療をする。戦争さえしなければ負傷兵がでないのに、戦争をするから時には医師は徹夜して負傷兵の手術をする。
その時に、不思議なことではあるが、医師は「こんなに忙しいのは戦争なんかするからだ。わざわざ負傷させるからこんなに苦労しなければならないんだ。バカらしいから治療は止めた」とは言わない。
ただ、黙々と負傷兵を治療する。
さらに、医師は野戦病院に担がれてきた敵兵をも治療する。その野戦病院の横では、味方の兵士が必死になって「敵兵を殺そう」と頑張っているのに、その敵兵を治療するのだから、野戦病院の医師とはまったく奇妙なものである。
でも、それは医師という職業がもたらしているもので、医師の業務の基本、つまり最高の命令者は「命」なのである。医師は自分の国の首相から命令されても,敵兵を殺しはしない。もしその敵兵を殺す必要があったら、医師は「私は知らないからどこかに連れて行ってくれ。病院の中にいる限り,私は負傷兵を治療する」と言う。
つまり、医師が人間の体を傷付けることが許されるのは、「命を守る」ということだけにその使命を限定しているからだ。
専門職というのはほぼ同じような動きをするものである。医師という職業とはかなり違うので、混乱するかも知れないが、他の例を挙げたい。
たとえば、タクシーの運転手が、男女の客を乗せ、そのお客さんが「ラブホテルに行ってくれ」と言われたとする。そのタクシーの運転手は「風紀をただすためのラブホテル追放運動」をしているとする。運転手は「私はラブホテル反対の運動をしていますので、お客さんを運ぶことはできません」と言って断ることができるのだろうか?
よほど特殊な場合を除いて、このようなことは乗車拒否にあたり、タクシーの運転手の方が罰せられる。
「ラブホテル」というのはある人から見れば「いらないもの」に見えるかも知れない。でも6畳一間の家に家族が5人もいて、思春期の子供を持つ夫婦にとってラブホテルは必要だ。独身の男女にとっても必要な場合があるだろう。いろいろな理由があって、ラブホテルは法律的にも禁止されていない。法律的に許されているものを、ある専門家が「個人の思想信条」に基づいて職務を行わないのは行き過ぎなのである。
つまり「法律の許す範囲で、相手が行おうとする行為に対して自らの専門とするサービスを拒否することはできない」ということになる。
専門職というのは、国家などが免許を出している場合が多く、医師は医師免許、タクシー運転手は自動車運転二種免許を持っている。そのような職業の人は自らの専門の範囲をむやみに拡大してはいけない。むしろ、個人の思想を表に出さずに社会がもとめる専門の力を黙々と発揮することをもとめられる。戦争とかラブホテルなどのように一見して本人のためにならないことでも、そしてそれによって自らの職務が著しく忙しくなろうと、断ってはいけないのである。
ところが、最近,「医師の専門範囲は病気やケガを治すばかりではなく,健康を守るのも職務だ」というように拡大してきた。その結果、現実に、「タバコを吸うから病気になる。だからタバコを吸う人の治療の順番を遅らせる」ということが現実に行われている。
「タバコを吸うのはケシカラン」というのは、その医師の個人的な思想だ。医師会が「禁煙運動」をしていても同じである。タバコを吸う人に「タバコを吸うと健康を害します」と言うのは正しいが、タバコをすって健康を害した人の治療はむしろ優先するのが医師の倫理である。
甘いものが好きな人がいて、その結果、肥満になる。その人に「甘いものを食べると肥満になりますよ」と言っても,「私は甘いものが好きだから」と言われたら、医師はそれを止めることはできないし、またその肥満の人が病気になったら「俺に言うことを聞かないから病気になったのだ。だから治療しない」という態度をとることはできない。もし、そんなことをしたら、医師免許を取り上げなければならない。
でも、最近,社会が複雑になり、医師が威張っていることもあって、現実には「タバコを吸っているのは個人の責任だから治療しない」という医師も現実にいる。野戦病院を思い出して欲しいものだ。
もう一度、タクシーの運転手を考えてみよう。あるタクシー運転手は以前にお酒が好きで飲み過ぎて肝臓を痛めたとする。その運転手がある時に「あの酒場に行ってくれ」と言われたら、「お客さん、お酒を飲むのは良くないので、私は行きません」と言うのは禁句である。
医師が一般人の健康を考えるのは専門職の任務として差し支えないが、病気でもなくケガもしていないのに、生活や人生の過ごし方について、直接的にその専門を武器にしてはいけないのがこれまでの倫理だった。
最近、健康を守るということが医師の任務になりつつあるが、安易に考えない方が良い。仮に医師が「治療」以外の分野に出る場合には、医師が「他人の体を傷付けて良い」という専門性を失う可能性がある。
つまり、たとえば「甘いものを食べるかどうか」というのは、その人の人生観によって決まる。それによって科学的に寿命が1年、縮むということを知らされても,彼は甘いものを食べるかも知れないからだ。つまり、「医」は「命」をもっとも大切にするが、「軍」は命より「国」であり、あるいは「命」より「名誉」を採ることすらある。
「命」を最上位に置く「医」が全てを支配すると言うのは少し無理があるのだ。
(平成22年6月5日 執筆)