鳩山首相の普天間問題で政権が揺れ、社民党の福島党首が「政治家にとって言葉は重い」と言って閣外に去った。
ここ20年,社会党時代から社民党まで、揺れに揺れてきた政党だったので、やっと筋が通ってきたということで日本社会の評判は良い。
もちろん,政治家にとって言葉が重いのは当然である。
民主主義では政治家が「演説」をして、その演説を聴いて選挙の時に国民が投票をする。つまり、政治家の地位というのは「演説」によって築かれているのだから、演説,つまり言葉だけなのである。
だから、政治家の言葉が重いのは当然である。
「国外、最低でも県外」と言えば、それは「できれば県外」とは違う。
「検察の取り調べが終わったらコピーをするのを忘れた書類を提示します」というのと、「1500万円はプライベートですから」というのとも違う。
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でも、私は少し違う考えだ。
私は今まで「契約書」というのをやむを得ず結ぶことがあるが、普通は契約書を取り交わさない。
たとえば大学で研究を請け負ったとき、しかたなく「研究契約書」というのを書くけれど、文面はまったく見ない。
相手の言ったことがウソなら,そして私が言うことがウソなら、元々研究契約書なるものを結んでも意味が無いからだ。
また、研究の約束は簡単だ。
「1年間、かくかくしかじかの研究をやってください」
「はい、全力でやります。でも失敗するかも知れません」
とたったこれだけのことだ。
だから、忘れることなどないし、相互の信頼性がなければどうせ研究などやっても意味が無い。研究というのは見かけは働いているように見えても,頭が休んでいれば何の成果も出ない。だからサボろうと思えば幾らでもサボれるし、それは実質的には契約違反である。
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私は生涯,「その人の口から出ることを信頼する。裏切られるまで信頼する。裏切られたら、その人を非難せずに、その後は絶対につきあわない」ということにしている。
口から出たら、その通りにその人が考えていると信じる。
裏切られたら、文句を言わない。ただ離れる。
時には「あの人の言っていることはウソですよ」と忠告してくれる人がいる。それでも、そのまま信じる。
そんな人生だった。
人生を左右するほどの大きなことでなければ、この方針で良い。というのは、このようにしていると自分の周りには「言葉を信じることができる」という人しかいなくなるので、大丈夫なのだ。
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この世の中は広く,人間の数は多い。だから、時には「ウソをつきながら、次々と相手を変えて渡り歩く人」がいる。
鳩山首相もそういう人の一人なのだろう。でも、今は首相となり,その椅子に座り続ける間、国民は被害を受け続けているので、彼だけは止めなければならないだろう。
彼は人柄が良いと言う人がいる。でも人柄が良い人でウソをつく人はいない。普天間が「国外、最低でも県外」が実現しなければ、それを主張してる福島大臣を罷免するのではなく,自分で自分を罷免することだ。
(平成22年6月1日 執筆)