鳩山政権のことを今更、論じても仕方がないという気持ちが強い。それは「今日,首相が発言したことが明日、なんの抵抗もなく変わること」がしばしばあるので、そんなことに時間を使うのはもったいないからだ。
普天間問題でも、その極端な例があった。
「最低でも県外」というのが、「できれば県外」に平気で変更される。このぐらいの大きな変更がいとも簡単にできるなら、日本人には言葉はいらない。なにを言っても良いし、「約束」などという用語も不要だ。
一体,学校では子供たちにどのように教えたらよいのか?「いつでも約束を破って良いのよ」、「いいかげんな言い訳をしなさい」と教えることになる。
そんなことを認めてはいけない。それでは「約束は守る」、「言い訳はしない」ということを前提に普天間を考えてみる。
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「5月末までに国外,最低でも県外」と言っていたのは首相であり、それを閣僚は支持していた。
ここが一番、重要だ。「5月にアメリカ、沖縄、連立が合意」ということは首相,官房長官だけではなく、閣僚全員の「意志」だったはずだ。
いまさら「心の中では反対だった」などと言って欲しくない。閣僚たるもの、もし意見が異なれば今年の冬にはハッキリと「5月国外、最低でも県外は間違い」と主張しなければ閣僚ではない。
また「鳩山首相はもともと虚言癖があるので、最初から信用していなかった」と言ってもらっても困る。「それは虚言ですか」と閣議で質問しなければならない。
閣僚が責任を取らないというのでは、閣僚とは言えない。単に大臣の椅子にしがみついているみっともない人だ。
だから、閣僚は今回の日米合意を元にした政策を閣議決定できないはずである。
ところが、閣議での議論の約束を守ったのは福島大臣であり、その福島大臣が罷免されるはずはない。もし罷免されるのだったら、首相以下福島大臣以外の人が罷免されるべきだ。
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もう一つの闇がある。それは今度は福島大臣だ。
福島大臣は「国外,最低でも県外」を支持した。それなら「県外とはどこか」を示さなければならない。
これまでの社民党なら「野党だからいい加減なことを言っても良い」という甘えがあったかも知れない。日本国内のどこでもアメリカ軍の基地は許されないと言い,それと同時に「県外」と言っていたのだから、実は福島大臣も虚言癖だったのである。
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日本は代議制だから、選挙で選んだ代議士が国民に変わって政治をする。でもこの前提が成立するのは、選挙の時に言ったことを大筋で実施する場合に限定される。
だから、選挙前に沖縄で「国外,最低でも県外」と言ったら、この政権の間はそれでいかなければ代議制は成り立たない。
だから、今回はどうしても国民が議論をしなければならない局面なのである。これをそのままにしておいては代議制が成り立たない。
今回は断じて許してはいけないだろう。日本の民主主義、選挙制度、そして日本の将来の危機だ。
(平成22年5月29日 執筆)