朝鮮戦争で始めてジェット戦闘機が実践に配備されると、パイロットの行動を解析する過程で奇妙な現象が見られた。ジェット戦闘機はそれまで神経伝達速度や筋肉の収縮速度などから計算される「人間的な時間」より遥かに短い時間の間で戦闘行動を行う。だからパイロットはそれについて行けないはずだが、現実には強い障害を感じることなく敵と味方を見分けて引き金を引いた。この現象をアメリカの知覚心理学者ジェームス・J・ギブソンは「アフォーダンスによる情報処理」という新しい概念を提供した[i],[ii],[iii])。
本論ではアフォーダンスの詳細には触れないが、人間は周囲環境から受動的ではなく、能動的な情報提供を受け、それによって行動や心理に影響が及ぶというものである。たとえば「銀杏の葉っぱ」は、人間が銀杏を見てはじめてその樹木が銀杏であることを認識するのではなく、銀杏の葉っぱから人間に「私は銀杏の葉っぱです」との情報発信があるというのであるから、一見して荒唐無稽であり、まったく常識に反する認識論である。
この一見してバカらしい認識論は知覚心理学などの一部に限定されていた。ところが、1982年に通商産業省(当時)が鳴り物入りでスタートした第5世代コンピュータ計画が、570億円の巨費を投じてプロジェクトは1992年に完全に失敗した。その原因の一つにアフォーダンスなどの人間の知覚や情報処理に関する知見がまったく不足していたことと言われた[iv],[v])。
たとえば、人工知能を持ったロボットがある部屋に入ろうとすると、その部屋の中にあり得る全ての危険を思い出し、検討し、安全であることを確認することが不可能であることが判った。さらにもっと簡単な例題では「熱い紅茶が入っているカップが置いてある机の横をロボットが通過することができない」などもあった。
つまり、人間の脳は一つ一つのことを五感に感じてそれを脳で処理をしているとすると説明が出来ないのである。複数の樹木を見ると、その樹木の一つ一つを見て「あれは銀杏、これは栗」とわかるのではなく、樹木からの情報で一気に理解しているというのである。しかし、そんな奇想天外なこと(現在の人間の学問がこの判断がどのように行われているかを科学的に明らかに出来ないこと)をコンピュータのプログラムに組み込むことはできず、プロジェクトは失敗した。
第5世代コンピュータもプロジェクトが発足した1982年と同じ年に、イギリスの高名な動物行動学者リチャード・ドーキンスによって「ミーム(meme)」という概念が提案された[vi])。このミームという概念はアフォーダンスと異なり、その後、大きく発展し、学問的な分派もできて定義は拡がっている。現在ではすでに複数のミームが議論されているが、全体の概念を簡単にまとめると、「人間の脳には、自由に書き換えられる神経細胞だけではなく、比較的に固定的な部分があり、それは「文化的な遺伝子」と呼ぶべきである」ということである[vii])。
たとえば、現代の日本人の子どもが、生涯で一度も見たことがない囲炉裏の横や縁側に座って「落ち着く」と感じたり、エアコンが効いた部屋で暖風を受けるより、暖炉の火からの直接的な輻射熱を快適と感じるなどがミームの例である。また比較的短時間では、1940年代にGパンという文化的遺伝子が発生し、それが世代を超えて伝達されるというようなことをミームと分類することもある[viii],[ix])。
ミームは伝染性があるとされていて、ミーム・ウィルスの概念さえ提唱されている。「郷土の高等学校が甲子園で勝利したのに感激した」のような現象は、かつて生活をした郷里には何の関係もないので書き換え情報としては冷静で反応しないが、ミームの伝染も考えられる。
いずれにしても、ミームには色濃く「歴史の認識」が含まれていて、習慣ミーム、伝統ミーム、掟ミーム、識別ミーム、利他ミームなどに分類されている。発見されたのは1980年代だが、現在では後に述べる書き換え情報の典型的なものである大脳皮質の学習的情報より人間の認識と行動に大きな影響を与えているとも言われる。筆者が多くの歴史学者や歴史に関心のある人が歴史認識を述べているのを聞くと、その事実認識と論理構成に多くのミームが関与していると感じることが多い。これは後に述べる人間の頭脳が持つ「錯覚構造」と対になることがあると考えられる。
さらに近年の脳科学の発展によってたとえば1996年にイタリアのパルマ大学、ジャコーモ・リッツォラッティがアカゲザルの研究の過程で発見した「ミラー・ニューロン」と呼ばれる脳の活性部位がある[x],[xi])。これは自ら行動したり思考したりしなくても、周囲が何かの行為を行うとあたかも自分が行ったと同じ脳の部位が活性化する現象で、学習の基本の理解に発展するとも考えられる。また、行為、思考などによって特定の脳の部位が活性化するという研究は数が多く、脳の情報の分類や類似性の研究につながっている。
つまり、ミラー・ニューロンの構造が存在し、現実にそれが働くためには、これまでの非生物、生物、それに人類が経験してきた中で、遺伝的にミラー・ニューロンの部位が獲得されていることを意味している。つまりどのような行動や環境に対してミラーが働くかと言うこと自体が、すでに歴史認識が体の中に組み込まれていることを意味している。ミラー・ニューロンの存在の意義を考えてみると、人間が生存していく上に、あらかじめこれまでの歴史の認識を早く「後天的で書き換え可能な情報」として習得できるように、あらかじめ「DNAに書き込まれた組み込み情報」に入れ込んでいると考えられる。つまり、これまでの歴史的経験が「早期に覚えなければならないこと」を書き換え情報の形で記憶する仕組みを作っている。このことは、「組み込み情報の書き換え情報化」ともいえる。
また、あるいはミラー・ニューロンは「神のお導き」のようなものでもある。人間は脳の中にあらかじめ「これは覚えなさい」という回路が形成されていて、小さな刺激や空想などによってその部位が活性化して、あたかも外界からの刺激や学習によって「自らが会得した」と錯覚するようになっているということだからである。
また、脳は体積が限定されているから、仮に近代科学がまだ未発達の時には容易に神の存在を感じることができるミラー・ニューロンが大きな空間を占めても、19世紀からの科学の発展で宗教に対する疑念が生じたことによって徐々にそれに該当するミラー・ニューロンを圧迫し、すでにそのミラー・ニューロンが誕生して間もない頃に外界から与えられる学習的情報があってもそれを固定的な情報に転換できなくなり、それがニーチェの「神は死んだ」という言葉になった可能性もある。つまり表面的には高邁な哲学的認識として発せられるものも、歴史的な経過によって情報構造の一部に変更がなされた必然的結果の可能性がある。
21世紀初頭においては、DNA、脳研究、アフォーダンスやミームなどの個別の情報記憶と処理については研究が進んでいるものの、それらの包括的な現象との橋渡しはまだ進んでいない。また、これらの研究は自然科学、あるいは心理学、動物行動学などで議論されているが、社会学、歴史学などではまだ咀嚼が十分ではない。今後の文理融合、学際研究の進歩とともに、徐々に統括されていくと考えられる。
さらに、実験および理論の一部に問題があって現在では部分的に否定されている「系統発生理論」がある。この理論は、人間のDNA、もしくは体に組み込まれている情報は、最初の生物が誕生したときの情報を持っているという考えである。たとえば動物の胎児が体内でどのような変化をたどって最終的な生物になるかという研究において、陸上動物でも初期の段階で魚にある「えら」が見られることから、DNAの情報に大昔にかつてその動物が経てきた進化のすべてが書き込まれていると考えられたのである。この系統発生理論は現在のところ否定されているが、研究の進展によってはより高度な形で再登場する可能性もある。
最後に、人間の血清の元素構成が人間の祖先が誕生した海の元素構成とほぼ同じであるという事実を考慮しなければならない。すなわち、元素の構成から言うと、人間の体内には、「宇宙が誕生してからの情報が、地球が誕生したときの情報がさまざまな形態と元素の濃度で組み込まれている」と考えることができる。これこそが「人間の歴史の認識」であろう[xii])。
図 2 海水中の元素の組成と人間の血清中の元素の組成
図 2は横軸に海水中の元素組成、縦軸にヒトの血清中の元素組成であるが、一見してハッキリした比例関係が見られる。このことは人体においてのさまざまな反応(たとえば、あるものを消化したり、危険なものを見ると逃げたりすること)を支配している元素の割合が同じなのだから、基本的には「原生動物も人間も、あることが起こったときの反応は同じ」であると言うことも言える。つまりこれらの元素の多くは、体を作る栄養と判断や行動を決める化学反応と情報処理に消費されるから、仮に2倍の濃度が存在すれば、より素早くその反応を進めることになるからである。
以上をまとめると、人間の認識は、1)生物の発生からの情報(元素構成)2)身体の作りなどのDNAによる遺伝情報、3)脳の下部(線条体、視床下部、扁桃体、海馬、小脳)など準本能的情報、4)周囲環境からの情報で獲得する脳の回路情報(ミラーニューロン)5)ミームに代表される文化的遺伝子、6)後天的論理的に獲得される脳情報(大脳皮質)、7)周囲環境から直接与えられる情報(アフォーダンス)の7種類の情報によって形作られる。これらの全体は元素群の種類と量によって移動と速度が保たれ(物質制御)、神経伝達系で調和されている(情報制御)を保っていると考えられ、それら全体で我々は「歴史という時間軸の変化に対する認識」が形成されていると考えられる。
第一章で強調したいのは、「歴史の認識」が「大脳皮質で後天的に学習したこと」だけに限定されるという現在の認識論では、現実に人間の認識を大きく支配している7つの要素のうち、1つだけを取り上げているので、「なぜ、1つだけ取り上げれば人間の歴史認識を考察することができるのか」という疑問に答えなければならないだろう。それが「面倒だから」とか、「研究の途上だから」という理由によるのであれば、歴史認識の議論自体に間違いがある可能性が高くなるからである。
(平成22年5月20日執筆。音声あり、参考文献あり)
[i] James J. Gibson (1979年), The Ecological Approach to Visual Perception, (邦訳: ジェイムズ・J・ギブソン 著『生態学的視覚論—ヒトの知覚世界を探る』サイエンス社 1986年)
[ii] Donald A. Norman: The Design of Everyday Things, 野島久雄(訳)『誰のためのデザイン? — 認知科学者のデザイン原論』新曜社
[iii] 佐々木正人『アフォーダンス――新しい認知の理論』[1]岩波書店,1994年
[iv] 「第五世代コンピュータの計画」渕一博、廣瀬健(著)、海鳴社、1984年
[v] 『日本のコンピュータ発達史』情報処理学会(編)、オーム社、1998年
[vi] Clinton Richard Dawkins, "The Selfish Gene 30th anniversary edition",2006.
日高敏隆・岸由二・羽田節子・垂水雄二訳 『利己的な遺伝子<増補改訂版>』紀伊國屋書店,2006
[vii] Clinton Richard Dawkins, “The Extended Phenotype”, 1982.
日高敏隆・遠藤知二・遠藤彰訳『延長された表現型--自然淘汰の単位としての遺伝子』紀伊國屋書店, 1987
[viii] 佐倉統ほか『ミーム力とは?』数研出版、2001年
[ix] ロバート・アンジェ編、ダニエル・デネット等著、佐倉統、巌谷薫、鈴木崇史、坪井りん訳 『ダーウィン文化論―科学としてのミーム』産業図書、2004年
[x] Giacomo Rizzolatti et al. (1996) Premotor cortex and the recognition of motor actions, Cognitive Brain Research 3 131-141
[xi] Rizzolatti G., Craighero L., The mirror-neuron system, Annual Review of Neuroscience. 2004
[xii] 原口紘炁, 生命と金属の世界, 放送大学教育振興会 2005