世にも不思議な政権ができてしまったものだ。

月々1500万円をお母さんからもらったことや、あれほど華やかに登場した鳩山夫人はいったいどこに行ってしまったのかまで、奇妙なことが続く。

そしてさらに普天間では、日本の首相が「学べば学ぶほど、海兵隊のみならず、米軍の存在全体の中で、すべて連携して、その中で抑止力が維持できることがわかった」と言ったのには心底、ビックリした。

もちろん、国会議員たるもの、このような見識では話にならないが、鳩山さんは20年以上も議員をやり、その中でアメリカとの関係は最重要政治課題の一つであり続けた。

1500万円の件での首相の発言も私はまったくのウソ(相続税も、政治資金が透明性を持たなければいけないことを知っていた)を言い続けていると思うが、これもウソだろう。

でも、問題はウソより恥である。

武士は恥をもっとも恐れた。それは「人々を統治する」という人間にとってもっとも大切なのは「恥を強く感じる」ということだからだ。

あり得ないことだが、仮に鳩山首相が抑止力の内容について知らなかったとしよう。それでも、ひとたび首相になったからには「知らなかった」とは言えない、それは武士にとって死に勝る恥辱だからだ。

それを平気で言う。「私は愚かな首相だ」と公然と言う。その言葉だけで、わたしは誇り高き日本民族の首相としては認められない。

「武士は、生まれながらにして、自らの身分に伴う義務と特権を重んずるように育てられた。」(新渡戸稲造「武士道」より)

つまり、どの国でも同じだが、指導者は高い地位に伴う高い道徳、恥を知る心などを求められた。平易に言えば「良いとこどり」は出来ないのである。

鳩山首相のこのような発言に対して、「正直で良い」という人もいるが、それは「彼が庶民だったら」という前提がつくのである。

首相というのはさまざまなことを決定し、多くの日本人の生活を左右する。その人だからこそ、知識も豊富で判断力もあり、正義を重んじて誠実であり、恥を知って行動が正しいことが求められるのである。

私は鳩山首相が判断したことで人生を左右されたくない。

でも、とんでもない内閣と首相が誕生したものだ。民主主義、マスコミの報道、そして選挙制度、さらには選挙権の行使の制限など多くのことを考えなければならないだろう。

(平成22513日 執筆 音声あり)

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