5月3日、憲法記念日にあたって第九条のことを考えて、ブログに幣原首相の関与のこととともに出した。その意味は、歴史の大きな転換点にあることを平時の人が考えるときにはよほどの注意がいるということに主眼があった。
でも、日本人として憲法九条に触れるときには、それだけでは不十分だと考えて、もう一度、書くことにした。
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かつて、私は憲法九条をそのままにしておく方が良いと言う判断だった。その根拠は大きくいって次のようなことだった。
1) 日本人なので、小さいことは考えても大きいことは政府やアメリカに任せてあまり議論したくない。議論すると敵を作る、
2) 戦後の教育を受けて、戦争に至るまでのこと、戦争中のことについて、反日教育を受けてきたので、その影響があった、
3) 日本人はだらしないので、軍隊を持つといつ何をするか判らず、それを止めることもできない情けない民族である、
4) 平和を愛する。
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しかし、よくよく考えるようになってから、2)は少しずつ考えが進み、日本を美化することもなく、かといって反日的でもなく、ごく標準的に日本の歴史を見ることが出来るようになってきた。
1)と3)は似ているが、一つの独立国として「大人が逃げていてはいけない」と思うようになった。1)はそれで解決する。
やっかいなのは3)だ。私はできるだけ平和の方が良いし、戦争はできればない方が良いと思う。そこで、もし「日本人が議論し、自分たちの意志のとおりに行くことができなければ、不完全な憲法でも仕方がない」と考えていた。
つまり、今の自衛隊はどう見ても軍隊だが、それを軍隊と読んでしまうと暴走を止められないから自衛隊としておいて誤魔化さないと日本人はダメだろうと思っていたからである。
でも、環境問題のことを取り扱うようになって、日本人は徐々にというところはあるけれど、事実はそのまま認識して修正もすることを体験した。
ただ、不安なのがNHKや朝日新聞などの大マスコミが「ヤラセ番組、消極的ヤラセ番組」を続けることだが、これも最近ではかなり批判されているので、そのうちにはNHKも朝日新聞も無くなると思うので、報道は良くなっていくだろう。
そうなると「本来は***だけれど、日本人がダメだから***」というのを捨てて、真正面から「日本は軍備がいるか?」という課題に取り組んでいた。
結論から言うと、まず、
1) 日本に軍備がいるから憲法を改正する、
2) 日本には軍備がいらないから自衛隊を解散する、
の2つを選択しなければならず、その間の選択肢はあまりにも日本人のプライドが無く、独立国家とも言えないと確信するにいたった。
軍隊がなくても、アメリカ軍の基地が日本に無くても、日本の安全を守ることができれば、軍隊はいらない。軍隊というのは警察や消防、病院のようなもので、「悪いことが起こらなければいらない」ものだからだ。
だから、日本に悪いことが起こらなければ軍隊はいらない。また、悪いことが起これば国民のいくらかは死ぬとか、資源を取られても良いというならそれはそれでよい。考え方だ。
いずれにしても、まずは「私たちは自分たちで自分たちのことを決められる民族か、それともウッカリしてどこまでも行ってしまうのか」ということが憲法九条の議論の最初にある。
私は「日本の誇り、誠実」をモットーとしているので、「日本人は日本人のことを決められる。先の太平洋戦争も日本人が日本人のことを決めた」と考えている。
もし、先の戦争が日本人の意志に背いて始まったのだったら、それは当時の朝日新聞が戦争を煽ったことが一番、大きかっただろう。その朝日新聞が今でも販売されているのが一抹の不安だが。
(平成22年5月4日 執筆 音声あり)