森林はCO2を吸収しない、つまりこれも「大人の程度問題」だが、少なくとも現在の社会の関心を呼んでいる「CO2による地球温暖化」との関係では「森林はCO2を吸収しない」のはあまりにも当然であるが、まともな大人がそう思っている。
このことは、先回の解説で書いた。骨子は、
1) 森林は成長するときにCO2を吸収する、
2) 森林は育ち、枯れるから成長と枯死はバランスしている、
3) 枯死するときに成長したときに吸収したCO2を大気に返す、
4) たまたま水の中などで枯死するものもあるが1万分の1以下である。
おおよそはこれでも良いのだが、今まで「森林はCO2を吸収する」と言ってきたり、「森林はCO2吸収という意味で大切だ」と思って活動をしてきた人にとってはまだ疑問が残ってる。
その疑問は、大きく言うと、3題あって、
1)森林の樹木を使ったら、その分だけ石油などの消費量が減るのではないか?
2)管理型の森林と自然型の森林の差はないのか?
3)今までうっかり「森林がCO2を吸収する」と言ってしまったからどうしよう
ということが問題のようだ。
すこし過激な言い方で、運動をしている人には失礼な表現もあるけれど、私の素直な気持ちを書いた。
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まず1)だが、もし人間が現代の日本のように石油を使う社会ではなく、人や家畜の力で動いていれば別だが、現代は何でもかんでも石油などを使う。
だから「森林から木を切ってきて、それを使えば、石油から作るプラスチックを使うよりCO2がでない」とか「木材のチップをストーブにくべるほうが、石油ストーブよりCO2がでない。木材は成長するときにCO2を吸収するから」という話は、「すべて人や家畜がやったら」という前提がついている。
森林の専門家や環境運動家はそれを知っている。もちろん、森林にいく人が自動車を使っていることを知らないわけはない。自動車はガソリンだけでは走れない。道路もいるし、その道路はアスファルト(石油)で出来てる。自動車は鉄板だ。鉄板はカナダから鉄鉱石を船で運び、石炭(コークス)で還元する。巨大な設備もコークスも膨大なエネルギーを使う。
でも、知らない顔をしている。それはお金が来なくなるから黙っているのだ。つまり現代の日本人は、専門家や環境運動家すら守銭奴の時代なのだ。残念だ。
森林から樹木を伐採し、製材し、使用するまでに使う石油と、石油を中東から持ってきて精製し、重合し、プラスチックを作る時に石油(製品本体もいれて、全ていれて)比較すると、現在は森林から材木や燃料用の木材チップにする方が石油を多く使っている。
このような矛盾したことになるのは、原因がある。森林から樹木を切りさすのは少しずつだが、中東からは30万トンのタンカーで運んでくる。船員も30名ぐらいしかいない。
樹木からの製材も一本一本やるけれど、プラスチック工場はほとんど無人で一気にやる。それが事実であり、技術では改善もできないし、森林関係者も環境運動家しらない顔をしている。
だから、たとえば、石油ストーブで暖まるのと、木材チップのストーブでは、木材が燃えているようで実は石油が燃えているのだ。それを知っていてみんな「環境に良い」と言ってニコニコして火に当たっている。
変な時代ではある。
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私はあまりにも石油などに頼って生活している今の社会は奇妙だと思っているが、それを覆い隠すために「森林はCO2を吸収するから大切だ」といって、石油をたっぷりと使って自己満足に陥るほど、精神は貧弱ではない。
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ところで、管理型森林と自然型森林は良し悪しがあって難しい。先進国ならおおよそ半々が適当のようであるし、開発途上国はなんといってもまずは豊かになりたいだろうから、当面は自然破壊は仕方がないだろう。
問題は、自分の人生は大切か、他人の人生は大切か、自分はプライドを持っているか、見かけだけなのか、メンツにこだわっていないか、などがもっとも大きな問題だろう。
日本人は1億人以上もいる。自分は自分として大切だが、社会は1億分の1である。だからせめて自分の心に誠実でありたい。
研究費や活動費はもらえるかも知れない。それが今までの行きがかりかも知れない。でも、私はもし間違っていれば謝って償いはしたい。その方が貧乏かも知れないけれど気楽な人生のように思えるからだ。
(平成22年5月4日 執筆 音声あり)