歴史の大きな転換期には、まるで歴史の流れを個人の体の中に取り込んでいるかの様な人物が現れるものである。
世界史の大きな舞台では、ローマのシーザー、蒙古のチンギス・ハーン、そしてフランスのナポレオン、日本では豊臣秀吉などのがその典型的な人物だ。
もちろん、どの国にも数人以上のこの種の人物を捜すことができる。それぞれが偉大な人物ではあるが、多くは夜空に輝く流れ星のように、急激に光り輝き、そして不幸なうちにその人生を終える。
その人物が歴史を動かしているようでもあり、あるいは、トルストイがその小説の中で書いているように、歴史がその人物を翻弄しているようでもあるつける寸前であり、まだルイ十六世は生きていた。状況は流動的で、干渉してきたオーストリア皇帝とプロイセン王に対して戦線が布告された。
「自由の子よ、武器を取れ!戦旗はひろげられた!」
という呼びかけが至る所に溢れた。
長い封建制の時代が破られたエネルギーが沸き返っていて、世界中の熱気がパリに集まっていたのだ。今から見ると無謀に進んだフランス革命はそれだけの時代の重みがパリ市民をかり出し、ストラスブールのような周辺の町の住民をも駆り立てた。
4月25日、ストラスブールのディートリッヒ市長に依頼されたルジェ大尉は静かに机に座りながら、市長から頼まれた軍歌の作曲に取り組んでいた。
戦争が始まり、進軍が開始されると軍歌の一つも要るだろう。それもこれまでのような古くさい歌ではなく、新しい自由のもとで演奏されるにふさわしい曲が必要なのであった。
でも、ルジェは趣味で曲を作ることはあったが、専門の作曲家ではなかったし、軽い気持ちで市長の頼みを聞いたものの、職業的な作曲家のようには詩も曲も湧いてこなかった。
螺旋階段を上りながらルジェは、突然、フランスの畑が外国の軍隊に踏みにじられて、肥料の代わりにフランス人の血が注がれる農民の叫びが聞こえた。
「行こう、祖国の子らよ、
栄光の時は来た!」
最初の二行が思い浮かぶと、その後はルジェの筆が勝手に動いた。
「祖国への神聖な愛よ、
みちびき支えよ、こらしめのわれらの腕を!
自由よ、最愛の自由よ、
たたかえ、われらのその守り手とともに!」
渾然としてわき上がる間隙に包まれて、ルジェがこの歴史的な作曲を終えたのは未明だった。ルジェは自分の体から興奮が消え、深い眠りについた。
その夕方には依頼した市長の家で市長夫人同席の中で新しいこの行進曲が披露された。歴史的な多くの場面がそうであるように、その場に居合わせた人々は、まさか一つの永遠の命をもったメロディーがあたかも翼をもった天使のように地上に降りたったのは感じることはできなかった。
「お集まりのみなさんはたいへん満足したくださいました」
記録に残っている市長夫人はそう手紙に書いている。
不滅のメロディーがこのような普通のほめ言葉でそのデビューを飾るのも、仕方のないことであった。歌はそのまま忘れ去られ、行軍の時に演奏されることもなく、歴史の中に藻屑のように消えようとしていた。
しかし、これも歴史が証明するように、作品にやどっている圧倒的な力は閉ざされたままでその生涯を終わることはない。どこからともなく唱われ始めたこの曲「ラ・マルセイエーズ」は爆発的に革命のフランスに拡がった。
…何という素晴らしい、心を奪う歌なのか!
不思議な力を秘めたは、フランスのありとあらゆる戦場で高らかに唱われ、自由の感激を味わいながら多くの兵士が死んでいった。
ルジェは一夜の作曲で大作曲家になったが、もともとそれほど才能のない男であったので、再び優れた曲を作曲することは無かった。むしろルジェの晩年は犯罪を犯して監獄に入ったり、ナポレオンの誘いを断って毒づいたりという老人になり、片田舎でその一生を終わる。
なぜ、ルジェが一夜だけ天才になったのだろうか。世界の歴史の大転換点にあって、軍靴の響く夜に霊感を受けたのであろうか?
(ツヴァイクから)
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憲法記念日にあたって、憲法第九条のことに思いをはせた。
この条文はアメリカの占領軍から押しつけられたのではない。当時の幣原首相が着想し、マッカーサー元帥に説得して日本国憲法に入れたものだ。
幣原首相の思惑は、永久に戦争を放棄するという条文を入れることによって、戦後の日本の復興を促し、外国の信頼を回復し、さらには朝鮮動乱などの際に日本人が兵隊としてかり出されないようにとのことだった。
幣原首相は後に次のような意味のことを述懐している。
「交戦権の放棄など世界の笑いものになるような条文が私の頭に浮かんだのは、歴史の力だ」
すでに幣原首相の目的は完璧に達成された。憲法記念日に当たり、深く幣原首相に感謝し、憲法九条を改正して完全な独立国としてのプライドを取り戻したい。
(平成22年5月3日 執筆 音声あり)