政権を取った民主党の「事業仕分け」は新鮮みがあるし、これまで「何となく役所が自分たちのために無駄使いをしているのではないか」という疑問にも切り込んでいるので、政治としては意味があるのだろう。
しかし、おそらくは「税金の使い道は明らかにするべきだ。節約していることも公に見せるべきだ」ということを社会が要求してきたという歴史的な意味はあるものの、政策としては不適切と思う。
税金をどのように使うかについて「大枠」を決めることができるが、その中身は専門的である。たとえば、軍備にどの程度のお金を使うかを決めて、その後は「できるだけ内部が腐敗しないように監視する」というようなことが望ましい。
名古屋の河村市長が言っておられるように、「無駄を省いたけれど、税金は減らなかった」というのでは、使い道が変わっただけで、使う人も金額も変化しないのだから、意味があるかは判らない。
事業仕分けというのはアイディアは良いが、目くらましのような方法である。もしかするとこのような「うまい名前と宣伝効果」を考えると、後ろに広告会社がいるのではないかとも疑う。
やるなら、まずは減税だろう。全体が減らなければどうにもならないが、現政権はむしろ大量の国債を発行して、さらに消費税を増額しようとしている。
国でお金を使うが、増税は出来ない。だからまず国債を発行して借金を作り、その後「子孫に借金を残すのは具合が悪い」といって増税する。
この手口は「これに税金を使います」と言えないから迂回するだけで、フェアーではない。
もともと、国債を発行するのは戦時中などの「緊急事態」に限られる。ゆっくりと審議ができるような「子育て資金」などの時に国債という話はあり得ない。
「あり得ない」というより、税金は国民の了解(国会)を得て政府が使い、歳入(収入)を上まわるお金は緊急時以外には使わないという従来の考え方を、なぜ変えたのかの説明と、合意が必要だろう。
この頃の政治の議論を聞いていると、「いきさつ」とか「パフォーマンス」が目立って、その人が何を考えているのか判らない。
名古屋の恥になるので言いたくないが、河村市長が「年俸半減」を打ち出した後、市議会議員は河村市長の個人攻撃だけをして、市長が問いかけた「市民並みの給与を貰う市議会でないと、市民と同じ感覚にならない」ということに対して、「飲み食いにお金がかかるので、2400万円はいる」という返事だけでは意味が無いし、最近では「市長は挑戦的だ」という理由だけで反対している。
もっと、本質的な議論しか聞かないように市民がすることが大切だろう。
(平成22年4月20日 執筆・・・音声もあります)