(音声が主です)

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ある大学を訪問したときのことだ。廊下の壁に「限りある資源を大切にしましょう」というポスターが貼ってあった。大学と言えば「知の集積所」のはずだ。

そこに、これほど「知」と関係がないポスターが貼ってあるとは驚きだが、これも幼稚園ニッポンの現象の一つなのだろう。

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地球が有限の物体である限り、資源は有限である。でも、それが気にするほどのものなのか、それとも無限に近いのか、それは一つ一つの資源を計算してみないと判らない。つまり「程度問題」だ。

エネルギー資源はあと500万年は持つ。

原子力資源重水素はあと3000年は持つ。

樹木、木材、紙は太陽エネルギーで再生されるから50億年は持つ。

作物、魚なども太陽エネルギーで再生されるから50億年は持つ。

鉄は3000年、アルミは3万年ほどは大丈夫だ。

だから、限りがある資源は希にはあるけれど、あまり多くない。

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特殊な資源を集中的に使えば、必ず無くなる。でも、それを節約しても資源の寿命はほとんど延びない。

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一方、「ものを大切にする」というのは道徳である。「資源に限りがあるから」という理由で「ものを大切にする」という道徳が生まれるのではない。

また、道徳はそれほど簡単に人に勧めたり、強制したりできるものでもない。それは自分の思想信条であり、趣味でもあるからだ。他人の価値観を自分の尺度で強制するのはあまり感心しない。

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そもそも自分がお金を持っていて、白昼堂々とお店で販売されているものは買っても良い。それは法律でも道徳でも禁止されていない。

旅行の好きな人は旅行しても良い。一年に5回も海外旅行をする人は、一年に自分が1500年間に使うレジ袋に相当する石油を旅行に使うが、それも認められる。

私自身は質素だが、お金を持っている人がそのお金を使うのに文句を言いたくなることはない。むしろお金を使ってくれる人がいなければこの世は不景気になる。

多くの人はお給料が上がって欲しいと言う。タレントはギャラが高いことを望む。ほとんどの人がお金持ちになりたいという。そのお金を使いたいと言う・・・みんな、正しい。

資源は無限にある。だから、お給料があがって、楽な生活をしても大丈夫なのだ。その方が肩こりも無くなるだろう。

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でも、「限りある資源」と思う人は「趣味の節約」をお勧めする。

タクシーを全廃。 歩けばよい。

お化粧道具を全廃。 デパートの一番よい場所が空く。

スーパーの食料品の販売量を規制。 みんながスマートになるだろう。

少子化を進める。フィンランドは日本と同じ国土面積なのに人口は22分の1だ。そして日本人はフィンランドにあこがれている。

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でも、私はなにか誠実さが無いように感じる。節約を説いているインテリは概してお金持ちだからだ。お金を持っていてどうしたら節約ができるのだろうか?単に買うものが違うということだけではないか??

程度問題を知らない大人、程度問題を議論しない大人。それは「幼稚園ニッポン」ではないのだろうか?

私がこんなことをかんじるのは、これまで日本のために遠い外地で戦死した祖先を考えると、このまま日本が幼稚園になって滅びていくのを許してはいけないように思うからだ。

(平成22414日 執筆)