人間、なにか悪いことがあると良いこともあり、良いことがあると悪いことが起こる。

車を運転していると赤信号が続くことがあるけれど、それも10分ぐらいだろう。その後は、今度は青信号が続く。

でも、徹底的に運が悪いこともある。そんな時には「仕方がない。これも前世の因果かな」と思ってあきらめる。全ては神様が決めることだ。

「人事を尽くして天命を待つ」と言う。まさにそのとおりである。

高校野球高知の池田高校、蔦監督が、「たかが野球、されど野球」と言った。まさにそのとおりである。

人間が出来ること、それは「今日一日は何とか頑張れる」ということであり、神様に感謝して寝床に着く。明日が来るかどうか、それは起きてみなければ判らない。

「人事を尽くす」という。やれることはやるという意味だ。でも、それも「たかが野球」なのである。

蔦監督と言えば高校野球に新しい風をもたらし、一斉を風靡した名監督だ。教育と野球という意味をもった言葉だ。

その蔦監督でも「たかが野球」である。別にストライクが3つで三振で無くても良いし、ホームランでも観客の中に入って球をとってアウトにしても良いだろう。

全ては人間が仮に決めてやっていることだ。

でも「されど野球」である。真理はどうであれ、野球というものが意味が無いかどうかはわからないが、それでも本人は野球に命をかけているのだということが「されど」という言葉に良く表れている。

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若いというのは辛いことだ。まだ将来があるし、家族もいるので、自分一人の身ではない。だから、健康でいたい、みんなに迷惑をかけたくないと思う。

でも、歳をとるとだんだん責任も無くなってくるので、気軽だ。今日、一日が何とかやっていければ良い。それで十分だ。

時に膝が痛い。腰も痛い。でも、気にもならない。何とか立ち上がれればその後は惰性でいける。楽な人生になったものだ。

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人生をよくよく考えてみる。毎日をまた考えてみる。そうすると、なんだか「繰り替えし」が目立つ。もちろん、朝ご飯、昼ご飯、お風呂、洗面、トイレ、パソコン、ネット、テレビ・・・どれもこれも繰り返しだ。

繰り返しも10回か20回なら良いけれど、人生をはじめてからこの方、ずっと繰り返しているのもある。人生とは繰り返しなのか?

でも、人生を一日で区切ると、繰り返しも減る。ご飯は3回、風呂も1回だ。それなら新鮮で飽きることもない。

人生は、その日の朝、始まる。そして寝るときに終わる。しかも、歳を取ると遠い将来を考えなくても良いし、回りの人に迷惑をかけることも少なくなる。

病気が怖いのは、今日が怖いのではない。明日が怖いのだ。だから明日のない人生には病気は怖くない。

今日一日、そうおもうと、なにか自分の身のまわりを眺めたくなる。

・・・・そういえば、あと、自分に残された時間は10時間ほどだが、こんなことをしていても良いのかな? まあ、のんびりやるか!

(平成22411日 執筆)