現代人はストレスから逃れることができないように思います。そしてその理由は2つあります。

一つは、あまりに時代の変化が早くて、私たちの体や心(頭)が追いつけないこと、そして、第二に、今の私たちは「お給料が欲しい」、「もう少し良い生活をしたい」、「あの人との関係も大切だし、あの人もおろそかにできない」とあれこれ忙しいだけだからです。

私たちの体は、大きく分けて1万年前の世界に適している部分と、数100年の昔になじんだ心があります。

栄養とか体という点では1万年前のままと言って良いでしょう。だから、味覚が「美味しい」と感じるものを「食べてはいけない」という奇妙なことになるのです。

本来、味覚は自分が必要な影響を見分けるためにあるのですから、「美味しい物を食べれば健康に良い」はずだからです。

もう一つは、「エアコンより暖炉が快適だ」とか、「森にいてサッと吹く風はなんと素晴らしい」と感じる感覚で、これはミームに属することですから数100年前というところでしょうか。でも、自分の感覚で「快適だな」と思うところで生活が出来なくなって来ています。

ビルが建ち、自動車が走り回り、道路がアスファルトで固められている現代は、それだけで違和感があるのです。

このストレスを避けるためには、できるだけ海や山に出かけること、そこで自然に接して、自分の体のなかにある「昔」の部分をなだめてあげることでしょう。

もう一つは、あまりに精神的な時間が少ないことです。

かつて、京都から長谷寺の観音様に願い事をしにいった人たちは、どんなに急いでも3日かかり、普通は1週間の旅でした。

当時、今よりズッと貧しいのに、それでも長谷寺に行って境内の花を愛で、観音様にお祈りをして旅を楽しんだのです。

私はよく「日本人総家畜化計画」と言っていますが、何かと言えば「効率」、「節約」などで、まるで人間を家畜のようにただ働けばよいと言う雰囲気だからです。

(ここで少し音声を入れて、その後、かなり踏み込んで解説をします。音声のファイルの入れ方がまだ慣れないので、あらぬところに入ってしまうことがあります。)

・・・・・・・・・(音声を入れました。クリックすると音が出ますが、パソコンからは小さいのでイヤホーンが良いと思います。)

「20100409stress1.mp3」をダウンロード

現代人はストレスから逃れることはできない。その理由は大きく2つあるように思う。

まず、第一に私たちの認識というのは、DNA、アフォーダンス、ミラー・ニューロンに代表されるような「物質的遺伝的要因」と、ミーム、学習的脳情報、非学習的脳情報のような「精神的後天的要因」に分かれる。

このような要因についてはまた別の機会(たとえば新環境ロマンスカー)で整理をするとして、ここでは、「私たちの意識には、先天的なものと後天的なものがあるのだな」と思ってもらえば良い。

DNAに代表されるように、先天的なものは時代が変わっても、ほとんど変わらない。まあ、1万年ぐらいはあまり変わらないと考えられている。

つまり、私たちが「思う」ことの「半分」ははるか1万年前と同じと言うことができる。

さて、数10年前までは後天的なものは学習で得られるので、すぐ現在の社会のことを意識の中に取り込めると思われていた。

江戸時代には馬が運搬手段だったが、今では自動車だ。このようなことは目で見たり、学校で習ったりすれば理解することができる。

でも、理解したのは大脳皮質(学習的脳情報)だけであって、その他の5つの情報はほとんど関知しない。つまり、6つの情報のうち、一つだけが納得した状態なのである。

自分の頭の情報が2つに分かれるのだから、ストレスにならざるを得ない。

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もう一つは、現代の日本はまるで「人間は精神的存在である」ということを忘れたように、一心不乱に「働くだけでよい」と錯覚しているように感じられる。

毎日、朝起きれば、急いで朝ご飯をかきこみ、急ぎ足で駅まであるき、混んだ電車に乗り、オフィスに行く。会議、メール、会合などに追いまくられ、一日が終わる。

頭を巡らすことの数は年々増えて、それも機械的になっていく。

そんな中でストレスが強くならない方がおかしい。

ストレスにはここに示したような、精神的ストレスと、身体的ストレスがあるが、まず「現代はストレスがたまる時代である」と思って、計画的にストレスの解放に心がけるのが正しいのだろう。

(平成22410日 執筆)