年の瀬に改めて思うことがあります。
先日、ある方とお話をしていたら、「芸能界で子供が成功して、お金が入るようになると、両親が離婚になることが多い」と言う話が出ました。
・・・本当に人の心というものはそういうものだ・・・
そのご両親は、お子さんが長じて芸能界に入るのにずいぶん苦労したと思います。最初に売り出すときにはそれこそご夫婦が一体になって一所懸命、朝から準備をして子供のデビューに備えたでしょう。
そして、少しずつ子供が芸能界で名が通っていくことに夫婦そろって喜んだことと思います。
でも、それもつかの間、子供を成功させるという「目的」が達成されると、大きなお金が入るようになり、そのお金が元になって夫婦間に意見の相違が生まれます。
それは単に「どちらが子供のお金を取るか」ということだけではなく、そのお金を新たな成功のために投資するのか、それとも将来に備えて貯蓄していくかというような小さな問題でも夫婦の諍い(いさかい)が起こるものです。
やがてその諍い(いさかい)は本格的な争いになり、ついに夫婦が離婚するまでに至るのです。
いったい、この夫婦の「目的」はなんだったのでしょうか?おそらくは、子供が成功して一家そろって幸福な生活を送る・・・それが目的だったのでしょうが、離婚、一家の離散という正反対の「結果」になるのです。
つくづく、不幸は幸福、貧乏は裕福、病気は健康と感じます。
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人生とは実に不思議なもので、「目的」はそれが期待した結果と逆の「結果」をもたらします。
目的を達成する途中で、その人が描く世界は「他のものがそのままで、目的だけ達成した状態」なのですが、実は目的が達成されたときには、その他のものも一緒に変わっていくのです。
目の前のかわいい子供を見て、「ああ、この子が成功したら」と思うのは親心ですが、その時に自分たちも年を取ったり、子供が成功してお金が入ってくると生活自体が変わることなどは同時に思い浮かべることができないのです。
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会社に入ると出世することが多くの人の目標になりますが、出世すると出張ばかりになり、ほとんど家庭にいることができなくなって、それが家庭不和の原因になったり、「部長になる」というのが夢でも、いざ部長になってみると役員に奴隷のように使われ、ちょっとでも手を抜くとたちまち降格されて、夜も寝れないぐらい悔しい思いをする・・・などがいくらでも起こります。
でも、自分には自分のプライドがありますから、いつもは平然としているように見せなければならず、それもなかなか辛いものがあります。
「スター誕生」という映画がありますが、多くの人がうらやむ大スターは実は思いもよらないくるしい毎日を送っている、そしてそれは「大スターになったら、その人の身に起こる必然的なこと」であることを描いています。
そしてその大スターは自殺するのです。
そもそも、人間は健康で長生きをしたいと思うのですが、よくよく考えると毎日は同じことの繰り返しであり、あまりに年を取ると他人様のご厄介になることにもなります。
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人間が心にもつ「目的」というのは、かなりいい加減で、よく考えられたものではなく、その「結果」は目的とはほとんど似ても似つかないようになることが多いのです。
そんな経験をした私は、いつの頃からか「目的」を持たずに生活をするようになりました。それまではなにかの目的がなければ頑張れなかったのですが、「目的」を持たずに生活をしてみると、それはそれで充実しているのです。
毎日の生活では「なにをもたらすか」を考えずに、ひたすら「一所懸命やる」ということだけに心がけ、その中でも「できれば自分のためではなく人のために力を尽くす・・・デディケーション」を念じます。
朝、起きると予定表を見て、「今日も一所懸命やろう」と決意します。「なにをするか」とか「どういうことを目的とするか」などは考えません。なにしろ「今日、やるべきことを一所懸命やる」ということだけを決めます。
そして、その一日が終わると「今日も、一所懸命できたから、充実していたな」と感じ、ゆっくりといすに座ってテレビを見て、そして寝ます。みかけは違いますが、ベッドのそばに跪き、神様に感謝して眠りにつく信仰あつい人たちと同じかも知れません。
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もともと目的がないのですから、「成功したか、失敗したか」ということもありません。ただ、自分にできることができたかということだけで、成功とか失敗というような「向こうから来るもの」には気を配らないからです。
その日のことがうまくいかないこともあります。それでも一所懸命やったのだから、それはそれで仕方がありません。そして結果は気になりませんが、たとえ失敗しても「自分が損になる」ということはなく、他人のために働いているのですから、「他人に満足にしてあげられなかった」ということだけです。それも申し訳ないのですが、また次回と思うこともできるからです。
年の瀬に当たり、この1年の主な出来事を振り返り、「今年も目的を持たないでも一所懸命、生きることができたのか」、「他人のために身を粉にしたか。その時、自分を考えなかったか」、と思い返し、来るべき来年を迎えたいと思うこの頃です。
(平成21年12月23日 執筆)