【市(自治体)】
4回つづけて「事実を知り、それを子供に教える」ということを書くようになったのは、名古屋市で講演したからです。
2009年の春に衆議院議員だった河村たかしさんが市長になられ、私も経営アドバイザーとして名古屋市のお手伝いをすることになりました。
河村さんは実に誠実な人で、多くの政治家が駆け引きをする中で、私の知っている限り、河村さんは一度も駆け引きをせず、良く人の話を聞き、それを元に自分の判断を決め、信念に基づいて行動する、この頃、珍しい髙い人格を持った人です。
衆議院議員時代にも、いくつか「これを妥協すれば」ということがありましたが、「国民のため」ということで信念を貫く姿を間近に見て、感心したものです。
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その講演会では「環境とはなにか」をお話したのですが、
1) 学問としての「環境問題」
2) 市(自治体)が市民に呼びかける「環境問題」
とは何が違うのかも私としては興味がありました。
学問としての環境への取り組みは、簡単な話で、「人間の英知を総動員して、できるだけ事実に迫る」ということで、そこに、自分の思想、利害、名誉、いきさつ、人間関係など一切、入れてはいけません。
その点からは、学問というのは実に素晴らしいもので、「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される」という難しいこの世の中で、数少ない「すっきりした世界」なのです。みなさんも、もし収入か財産が無限にあれば、今すぐにでも仕事を辞めて学問の世界に入ってみてください。
もちろん、学問自体はすっきりしているのですが、それは人間がやることですから、大学の中などは、権力闘争、悪口の言い合い、研究の妨害・・・などあらゆる人間の所作が見られるところがまたおもしろいことです。
COP15の直前に、イギリスのイーストアングリア大学のメールが暴露され、IPCCの使っていた主なデータがねつ造だったことが明らかになりましたが、これも「学者の世界も嫉妬と権力闘争」であることを示しました。
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ところで、講演会でまずビックリしたのは名古屋市が市民や小学生に対して、「環境教育」をしているらしいということでした。
私の感じでは、市は「市民が市に求めること」をするのですから、教育など市民が求めていないものを実施しているはずはないのではないかと思ったのです。特に、温暖化などはこれほどマスコミが報道し、政府が指導しているので、名古屋市民ならイヤと言うほど温暖化の情報に接するだろうからです。
それでも名古屋市が温暖化の教育をするということになると、ある制約があると思います。
1) 世界全体の温暖化ではなく、名古屋市の温暖化の状況
2) 温暖化したとき名古屋市で起こること
などが名古屋市が担当することのように思いました。
ところが2009年の8月に、環境省の高級官僚と東京からエコに熱心な女性を講師に読んで市民税を使った講演会をするというので、私は経営アドバイザーとしての立場から、その是非をご担当の方に問い合わせました。
いろいろな理由があると思いますが、名古屋市は環境省の出先機関ではないので、環境省の高級官僚が来る必要はないこと、第二に東京はすでに100年で3.5℃も気温があがって名古屋の2.5℃に比べれば、温暖化防止という点で劣等生です。
その東京にお住みのエコに熱心な人などいるはずもないので、そんな人がわざわざ名古屋までお越しになる必要はないと思ったのです。
名古屋には名古屋気象台とか、名古屋市の環境科学研究所などがあり、名古屋の気象や環境の話はいくらでもできるからです。また、名古屋にも温暖化が大変だ!と言っておられる学者の先生や、私のように違う考えもあるので、名古屋で充実した講演会や勉強会はできるからです。
その時に、私は「なぜ、名古屋市が東京の官僚と知識人を呼んで、講演会をしなければならないほど、名古屋が遅れていて、かつ名古屋のことより東京のことを聞かなければならないのだろうか?」という疑問を持っていました。
それがさらに、今回の講演会で「名古屋市が児童の環境教育をしている」と聞いて2度ビックリしたのです。
そしてさらにさらに、「教育はIPCCと環境省の公的文書を元に行われている」と聞いて、若干、胸が詰まったのでした。
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今日ほど情報が発達した社会で、市はなにを市民に教育するのでしょうか?そしてその前に、市は何の目的で市民に情報を流すのでしょうか?
私の感覚では、市とは市民と直接、接するもっとも大切な役所で、国や県とは一線を画し、市民側にたって施策を進め、日々のサービスをするところだと認識していました。
たとえば、温暖化ですと、名古屋市の100年の気温の変化(データなし)、その原因の推定(名古屋市環境科学研究所にはデータがある)、仮に温暖化で名古屋に被害がでたら(私はでないと思うが)その対策(熱中症対策など)であろうかと思います。
でも、名古屋にも巨大な中日新聞、CBC、東海テレビ、中京テレビ、名古屋テレビなどがあります。特に中日新聞は日本の地方紙では断然トップですし、放送局も日本初の民放まであります。地方の情報はそこがかなり発進していますし、名古屋市にお住みの方でテレビも新聞もネットも見ないという人は少ないでしょう。
むしろ市役所、区役所としては、「テレビ、新聞、ネット」などから隔絶した人がいたら、個別にリストアップして特別な配慮をするのがよいと思います。
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そうすると、名古屋市が市民に流す「温暖化情報」というのは何でしょうか?
まず第一にはっきりさせておかなければならないのは、「市」というところは市民と直接、関係しているので、個人生活についての憲法の尊重です。
つまり、名古屋市は市民と密接に関係しているだけに、余計に憲法を大切にしなければなりません。
憲法には、19条に思想信条の自由が定められていて、周辺の条文も示すと、
〔公務員の不法行為による損害の賠償〕
第17条何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
〔奴隷的拘束及び苦役の禁止〕
第18条何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
〔思想及び良心の自由〕
第19条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
〔信教の自由〕
第20条信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
とあります。
これらの条文は日常的な生活に深く関わっていて、思想や良心の自由を侵される人にとっては、それを強制されることはとても辛いことです。
たとえば、K市は「レジ袋の追放」というのを始めました。理由は「地球温暖化防止」というのですが、K市が地球温暖化について責任をもっているとは思えませんので、スーパーか環境団体との癒着と考えられますが、とにかく追放運動を始めました。
ところが、市民がこの運動について行けないので、「強制的にレジ袋を追放する」という条例を作るということで動いています。
でも、CO2を出すという点では、ヨーロッパ旅行に一度行けば300年分のレジ袋と同じCO2を出しますから、「ヨーロッパ旅行は良いが、レジ袋はダメ」というのは思想信条の自由に反します。K市の思想で、他の人の行動を縛ることになります。
また「ゴミ減量」という点では「市の指定のゴミ袋でも、レジ袋でもどちらでもゴミが出せる」と決めれば解決します。
だから、「レジ袋を強制的に追放する」というのははっきりした「憲法違反」です。
人間には「これが正しい」というものがあり、民主主義の元では、どうしても全体に影響があるものは仕方がないから多数決で決めて、その人その人の思想にそって行動しても良いものはその人の自由にするという原理原則があります。
日常生活を市役所の勝手な思い込みで制限することはできないのです。もともと市役所より市民の方が主人なのですから。
K市の場合、「市民に呼びかけたけれど」、「市民の環境意識が低いので」、「運動が失敗したので」、「条例で強制する」というのですから、まさに封建時代に後戻りした感じです。市と団体、それに業者が協定してレジ袋追放を始めたのですから、それでも市民がノーと言っているのに条例で強制し、その理由が「市民の環境意識が低い」というのですからビックリします。
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市役所は市民に対して「教育」をするというような機関ではなく、あくまでも「サービス」ですから、先ほどの夏の温暖化講演会では、名古屋環境科学研究所の方が「名古屋の気温の変化」をお話になったり、「夏の気温が高いときの過ごし方」を保健所や名古屋の大学の先生がご講演されるなら、まあまあ許されるでしょう。
なぜ、名古屋市が国を向いていて市民をバカにしているのか、その理由はまだ私にははっきりはわかりません。名古屋市のお役人はほとんどの人がまじめで、かなりハードに仕事をされています。
それなのに、なぜ国の方を向いていて、市民のことを考えないのか、それは謎なのです。
CO2についても「80%減」などという荒唐無稽な数字を目標にしています。もし本当になれば、名古屋市民の生活は破壊されるでしょう。でも、この数字は鳩山政権のもとでは「よい子だ」と政府にはお褒めの言葉をいただくと思います。
(平成21年12月19日 執筆)