【マスコミ】
先回、政府というものは、「政策を進めるのに都合のよい情報を発信する」、もしくは「発信しがちである」という原理原則を持つこと、また人間は良い面もあるけれど、「悪い心」も持ち合わせているので、時には事実と違うことを国民に発信してしまうということを知りました。
民主主義では国民が主人で、高級官僚といえども下僕ですから、高級官僚が持っている情報を国民が知らないということは「許せないこと」ですが、私たちの経験では、そのようなことが頻繁に起こるのも事実です。
そこで、日本国憲法ではその第21条に「表現の自由」を定めて、マスコミに取材の自由、言論の自由などとともに、自由な取材や表現などの特権を与えました。
つまり、日本国民は情報の健全化を目的として、マスコミに特別の権利を与えているということを意味します。
繰り返しになりますが、日本人はすべて平等なはずなのに、なぜ、マスコミには特権が与えられているのでしょうか? それは、自由主義のもとでは「すぐ政府が悪いことをする」という経験をしているからです。
性善説も性悪説というのがありますが、どちらもぴったりと当てはまる訳ではなく、その中間といって良いでしょう。だから、それに備えておく必要があるのです。
確かに環境省に勤めている方がすべて「ウソつき」ではないのですが、「正直」でもありません。もし正直なら「リサイクル品でもないものをリサイクル」として大臣が示したりしませんし、2008年の年賀状はほぼリサイクル率ゼロの紙を使いながら40%という表示を許していました。
もちろん、「それは日本郵便がやったことで環境省は知らない」と言うでしょうが、紙の生産とリサイクルの状況を監視している環境省が知らないはずもないのですが、人間は、まず見て見ぬふりをして、さらにそれが露見するとウソを言うというような性質もあります。
そこで、国民はマスコミに特権を与え、「せめて、マスコミは政府の性悪の部分からでる情報を修正してください」と委託したのです。
ところが、現代のマスコミが正しく事実を伝えていないことは、すでに多くの人が知っています。せっかく「取材の自由、表現の自由」があり、特にNHKはスポンサーもなく、受信料をとっているのですから、まったく自由な立場で憲法がもとめるマスコミとしての役割を果たすことができるのに、しないのです。
NHKだけを取り上げても、
1) 南極が温暖化している(科学的には誤報(議論なし)、政府寄り)
2) 南極の氷が融けている(誤報、政府寄り)
3) 北極の氷が融けている(誤報、政府寄り)
4) ホッキョクグマが温暖化でおぼれている(誤報、政府寄り)
5) 温暖化で被害が出るほど海水面が上がる(誤報、政府寄り)
6) ツバルが沈んでいるのは温暖化が原因(誤報、政府寄り)
7) キリマンジェロの氷河が溶けているのは温暖化である(誤報、政府寄り)
8) 温暖化すると台風が巨大になる(誤報、政府寄り)
9) 温暖化すると作物が減る(誤報、政府寄り)
10) 温暖するとマラリアが増える(誤報、政府寄り)
11) NHKはCO2を80%増やしているのに視聴者には削減を呼びかけた
というように枚挙にいとまがありません。これだけの誤報はその数と内容ですと、国民が「NHKに洗脳される」のは間違いありません。特に純朴な日本人はNHKは「正確な報道をする」と信じていますから、なおさらです。
また、「政府より」というのも問題でしょう。
もともと、表現の自由が憲法に明記されているのは、「えてして権力は自由な表現を押さえようとするから」ということです。つまり「政府に都合の悪い報道に圧力を掛けるから」ということに他なりません。
先回に紹介しましたように、事実としても新聞報道に対して環境省の課長補佐が「国益に反する報道をするな」とまるで軍国主義の時代のような電話をするのですから、困ったものです。
もともと「報道機関」というのは、政治家にくっついてコメントを求めたり、お役所の窓口に行って取材するのではなく、自分の足で事実を追うものです。そうすると自ずと「政府発表とは違う情報」になります。
ところが、どういう訳か、マスコミは「記者クラブ」という閉鎖的な特権クラブを作り、「仲間に入れてやらないよ」とか、「記者クラブの申し合わせで抜け駆けはしない」などとマスコミが致命的な打撃を受ける制約をしているのです。
だから、「ニュースは死んだ」とも言えるのです。
実は私がペットボトルのリサイクル率を自分で調べて、本で書いたら「武田の独自のデータ」と批判されました。私の感じでは「学者が独自のデータ以外のデータで価値のあるものがあるのか?」という感じです。
それと同じように報道機関はNHK独自の取材データを示すべきなのですが、記者クラブが災いして、現実にテレビを見ていますと、8割ぐらいは「政府がこういった。大臣がこういった。大企業の社長がこういった」というものばかりで「独自の情報」はほとんど無いのです。
あっても「NHKが独占インタビュー」ぐらいで、これも「独自の情報」ほど苦労したものではありません。私などは、官庁のデータを知るならネットの方が便利なので、NHKの受信料をはらう意味を感じません。
ところで、 このような「積極的な誤報」の他に、「報道しないことによる消極的誤報」も見られます。たとえば、
1) 京都議定書の批准の政府と経団連の密約を報道しなかった
2) アメリカが京都議定書に批准しなかった真の理由(バード・ヘーゲル決議)を報道しなかった
3) 京都議定書でヨーロッパが1990年に固執したのは旧共産圏との関係であり、日本だけが大きな削減を義務づけられたことを報道しなかった
4) 2009年11月に起こったIPCC側のデータねつ造事件(クライメートゲート事件)を報道しなかった
などがあります。
政府に不利な情報を報道しないということで間接的に国民に誤解を与えるのも、「誤報」の一種のように感じられます。
それに加えて、NHKは東大卒や一流大学卒がいるので、かなり性質が傲慢です。「自分は給料も多いし、一流大学を出て偉いのだから、日本社会を指導して当然」という感じですし、選挙の洗礼も受けていないので、気楽なものです。
そこで、NHKが勝手に決めた「教育」を報道します。
本来は、報道機関は政府でも教育機関でもないので、「国民の教育」を報道機関に依頼したこともないし、もし任意の教育機関なら表現の自由は怪しげになります。それにも関わらず、
1) 中立であるはずのNHKが「明日のエコでは間に合わない」という宣伝を続けた、
2) 公共広告機構を使って「ペットボトルのリサイクルで背広を作っている」という子供の声を流し続けた(実際は100分の1もリサイクルして背広に使っていない)、
3) シロクマが「暑い暑い」と言っているという幼児の歌を作って「みんなの歌」として流した、
など、さらに報道機関というより教育機関としての行動をとってきています。
NHKを筆頭とした日本の報道機関が「政府より」の報道をし、かつさらに誤報まで行う理由としては、政府と同じように「封建主義の方法」が良いと考えているからでしょう。
また、マスコミが教育機関を兼務しなければならないと考えているのは、マスコミの人と話すといつも出てきます。一度、私が「なぜ、マスコミは事実を報道せずに、どちらかというと危険をあおる方を報道するのですか」とお聞きしたら、「マスコミは国民に警告する義務がある」という独りよがりの見解を言ってくれました。
国民への警告はどちらかというと政府や自治体の役割で、マスコミが直接、国民に警告を発する必要はないと思いますが、どうも傲慢になっているのか、あるいはマスコミの任務について少し違った考えだからでしょう。
たとえば、「選挙に行きましょう」などもそうで、選挙に行くことを国民に呼びかけるのは政府とか自治体のように思います。マスコミは正確な投票所、投票方法、そして投票率とか、投票率が低くなった時の国に状態に関する世界の情報などを提供してもらえば有権者は投票に行くかどうかの判断ができると思います。
つまり日本のマスコミは、「事実を報道する」ということより、次の3つを優先しているように感じられます。
1) 政府におもねるため、もしくはニュースの根拠を聞かれるのがうるさいので、お役所と同じ情報を流す、
2) 政府におもねるため、政府の施策に差し障る情報はできるだけ流さない、
3) 政府の方針、あるいはNHKの思想に基づく道徳的指導をしないといけないと強く思っている。
すこし、マスコミ批判が強くなりましたが、事実はこの通りなのです。どうしてNHKがこんなになってしまったのか?それはシステム的な問題と、日本人の誠実さとがあるでしょう。
一つは、NHKのような国営放送に近いものは世界でいくつかありますが、政府公報を担当している北朝鮮のような発展途上国は別にして、イギリスのBBCは政府から独立しています。
今のNHKは国会で予算の承認を得なければならないので、その時の国会(ほとんど政府)のご機嫌を取らなければならない、つまり国会自身が憲法違反をしているということになります。
第二に、NHKはこのところCO2の排出を増やし続け、ついに80%も増えたのですが、それをひた隠しにしています。このことでわかるように「日本人の誠実さ」というのが失われていることもあります。NHKは巨大な権力ですから、その権力の座にいる人が傲慢になり誠実さを失うのはむしろ人間らしい、それに「NHKのことを報道できる報道機関がない」ということをよく知っているからです。
以上のように残念ながら、現在のマスコミからは「事実」を知ることができないことがわかったと思います。
(平成21年12月17日 執筆)