この世が続く限り「親子げんか」というのは無くなることはないという人もいます。江戸時代に、「浜の真砂はつきるとも余に盗人の種は尽きまじ」とうたった大盗賊石川五右衛門を思い出しますが、それほど親子げんかの根は深いと思われています。
でも、そうでしょうか?
親子げんかを完全になくす方法、それを少し書いてみたいと思います。
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話を二つに分けます。一つは「正しいこと」というのはどういうことか、もう一つは「人間はいつ、考えかが固まるか」ということです。
多くの人は、「自分が正しいと思ったことが、正しい」と信じて疑いません。実は私も32歳まで、「正しいことは自分で決められる」と錯覚していました。
でも、あるときにふと「自分はAが正しいと思い、相手はBが正しいと思うとすると、本当に正しいのはAかBか誰が決めるのだろう?」という疑問を持ったのです。
そして、「自分が正しいと思うことは、万人が正しいと思うことではなく、自分だけが正しいと思っていることだ」という当たり前のことに気がついたのです。
その後、研究職だった私は、「絶対に・・・に違いない」と思っても、実験をしてみるとまったく違う結果が得られたりすることが何度もありました。
反省しきりの時代でした。
だから経験的には、「自分が正しいと思っていることは、間違っている」という変な確信が生まれたのです。
今では、「今の自分の知識で正しいと判断するしかないが、それは8,9割は間違っているだろう」ということです。でも、自分の行動は今の自分が正しいと思うことしかできないので、自分が正しいと思うことをするのですが、他人には「自分が正しい」ということを強制しないようになりました。
(ここで言う「正しい」というのは、「ウソをついてはいけない」とか「人を殺してはいけない」というように万人が共通して納得できるものは除いています。人によって考えが違っても社会がそれは仕方がないと思う程度のことだけです。)
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自分には「正しい」と思うことがあります。そして他人も自分とは違う「正しい」と思うことがあるでしょう。その二つが偶然に一致することもあるけれど、だいたいは違います。だからといって「自分が正しい」かどうかはわからないのです。
「自分」の正否を「自分」に聞いてもダメなので、神様か孔子様に聞かなければならないけれど、残念ながらお釈迦様もイエス様も、そして孔子様も今はおられません。だから聞くことができません。
聞けないと言うことになると、「自分が正しいかも知れないし、相手が正しいかも知れない」ということになるので、意見を言うだけになります。これが今の私のやり方です。
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もう一つは「時代によって正しさが変わる」ということです。
このことは私のホームページにも何回も書いていますが、1930年は機関銃が正義、1960年は大量生産が正義、そして1990年は環境が正義・・・というように社会の倫理も変わりますし、家庭生活も変わります。
そして、人間が「これが正しい」という感覚は25歳の時におおよそ決まるので、よほど社会が停滞していない限り、30歳の時にできた子供と親で意見が一致するはずもないのです。
親子げんかは「自分が正しい」と思っていたら、必ず起こることがわかります。そしてその断層は30年の歳月を経ているので、埋まることはありません。
親と子の間には愛情があるけれど、意見は合うことがないのです。
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つまり、親子げんかをなくすには、
1) 自分が正しいと思っていることは、正しくない。
2) 親と子供は世代が違うから、同じ体質でも正しいことが違う。
3) 親と子供は愛情があるからややこしくなる。
ということを骨身にしみてわかることです。
でも、最後の3)が現実的にはもっとも難しいでしょう。
(平成21年12月10日 執筆)