若い人が新聞を読まなくなり、絶滅寸前だが、私の世代では新聞を読むと言ったら第一に朝日新聞、第二に読売か毎日で、日本経済新聞を読むと言えば大企業の部長さんという感じだった。
でも、私は若い頃から日本経済新聞が好きで、株式の欄などのように当時の自分にはあまり関係ないところは見ないようにして、政治、経済、スポーツなどを中心にして読んでいた。
日本経済新聞のスポーツ記事などは、ただほめるだけではなく、適度に批判的事実も書かれていて、良い紙面だった。
つまり、あまりお金に関係のない私にとって、当時の日本経済新聞が「良い新聞」だったのは、「新聞が過度な価値観を持たずに、事実を中心として書かれている」からだった。
・・・・・・・・・
朝日新聞は、常にある価値観があった。新聞が価値観を持つのが良いことなのかどうかは判らないが、とにかく朝日新聞はそういう考えで紙面を作っていた。
昔から「朝日新聞は偏向している」という批判があり、それに対して朝日新聞はいやな顔をしていたが、イヤな顔をすること自体、奇妙だ。
朝日新聞が偏向しているのは事実で、それは朝日新聞の経営陣が自分で決めたことだから、「その通り、朝日新聞は偏向している。それが大新聞として正しい態度だ」と言えば良い。
朝日新聞は政治的・社会的なことで偏向していたが、現在は環境で言えば、NHKや朝日新聞は「明日のエコでは間に合わない」と放送したり、「環境キャンペーン」や「リサイクル・キャンペーン」を進めてきた。
もちろん、これは偏向報道である。つまり、「環境が悪いのか」、「日本で環境による被害が出ているのか」などの報道を割愛してしまうからだ。
事実報道をしないで、報道もせずに勝手に報道機関が「環境が悪い」とか「悪くなる」と結論するとしたら、それは偏向報道そのものである。
もし、何にも偏しない態度で、事実を報道するなら、1990年以後、日本の環境はほぼすべての問題をクリアーして問題がない。だから、仮にNHKや朝日新聞が環境関係で起こっていることをそのまま報道していれば、現在の日本を覆っている「環境恐怖症」はないだろう。
そして、日本人は「こんなに素晴らしい環境の日本に生活できて良かった」と前向きで明るい人生を送れただろう。
多くの日本人は自分の庭から外を見れば、空気は綺麗で、四季折々に気象も変化していることに気がつくだろうし、水道をひねれば世界一級の水質が求められることも判っている。
あれほど騒いだリサイクルは実質的に行われていないし、焼却は大々的に実施されているが、ダイオキシンの患者は発生しない。つまり何もしていないのに、環境は素晴らしい。それなのに、1990年以後の朝日新聞の紙面で「環境」で割いた面積はどのぐらいだったのだろうか?
でも、それが朝日新聞経営陣の判断だ。
「環境が悪くなくても、悪いと報道することが社会的正義であり、新聞の使命だ」と思っていたのだから、仕方がない。みずから求めた偏向報道だから、正々堂々、「偏向報道をしている」と言明すべきである。
・・・・・・・・・
その点、日本経済新聞には偏向報道がなかった。特に私が好きだったのは、「将来の株価や為替の予測記事がほとんどない」ということだった。
株価や為替相場の予測はむつかしい。もし日本経済新聞が株価や為替相場の予測記事を掲載していたら、予測は外れるから、かなり前に日本経済新聞はつぶれていたかも知れない。
少し難しい内容なので、解説すると、仮に日本経済新聞が「円は6ヶ月後に100円に上がる」と言う「先入観」に基づいて「偏向報道」をするとする。つまり、円が高くなるという前提の元で記事を作るとすると、現場の記者は取材の中で「円が上がる」という情報だけを記事にすることになるだろう。
そうすると、日本経済新聞の紙面を読んでいると読者は「今にも円が上がる」という錯覚にとらわれるに相違ない。
ところが事実は「円が上がるという情報が50%、下がるという情報が50%」だったとする。そのうち、記者が「円が上がる」という記事だけを書くと、それを読む読者は「円は上がるのだな」と錯覚する。
これを「偏向報道」と言う。
・・・・・・・・・
最近は日本経済新聞をあまり読まなくなった。
それは記事に「予測(偏向)」がみられるからだ。もっともはっきりしているのが「温暖化」である。
将来、地球が温暖化するか、寒冷化するかは不明である。私のような専門の物理学者が、寒冷化の論文と温暖化の論文を両方とも熟読しても、どちらが正しいかは判らない。
これまでに起こったことなら事実だから、理解することができるが、予想というのは科学ではむつかしい。特に気象のようにカオス的な要素がある。
少しの誤差が大きな変化になる。たとえばA学者が23.456という数字を使い、B学者が23.465という数字を使って計算しただけで、結果が変わってくる。
そして、小数点以下が“456”であるか“465”であるかは、現在の知見では決定できないのだから、結局、現在の科学では「誰も判らない状態にある」ということができる。
・・・・・・・・・
これを「政治的に処理すること」は可能である。政治的には、もし「温暖化は被害がでるが、寒冷化は被害がでない」というなら、温暖化対策をするだろうし、逆に「温暖化は良いが、寒冷化が怖い」ということなら、寒冷化を防ごうとするだろう。
しかし、学問や報道は「事実」であるから、「わからないものはわからない」とするすかないのである。
たとえば、地球温暖化を扱う国連のIPCCの主力データの一つに「マンのホッケースティック図」というのがあるが、現在の温暖化を判断する上での中心的なこのグラフについて「ねつ造」の疑惑が絶えず、2009年になって、ますます疑惑は増大してる。
このことについて、海外の大新聞(アメリカでは、New York Times, The Wall Street Journalなど)が多く報道しているのに、日本の新聞はほとんど報道していない。
たとえば朝日新聞は偏向している(良いか悪いかは別)ので、「温暖化を疑わせるような報道はしない」ということで徹底している。
この点ではおもしろい体験をしたことがある。リサイクルで日本中が沸き立っているときに、朝日新聞の記者が大学に来られて2時間ばかり取材を受けた。その時に帰り際にその記者が、
「どうせ、武田さんのお話は記事にしません」
と言ったのにはビックリした。私も記事にしてくれという訳ではないが、2時間も取材して、目の前で「武田さんの話は、社の方針と違うので、記事にはしない」と面と向かって言われると鼻しらむ。
インタビューが終わって、ソファから立ちながら言い捨てた、その記者の傲慢な顔や言い方も、それから10年ほどたつ今でもよく思い出す。
その記者は「朝日新聞は偏向報道を社是としていますから」と言ったのと同じであるし、私はそれはそれで朝日新聞というプライベートな新聞としては間違っていないと思っている。
NHKは「受信料」を強制的に取るから、どうしても見なければならず、勝手な偏向報道をしてもらっては困るが、朝日新聞はイヤだったら買わなければ良いのだから、これは簡単である。
・・・・・・・・・
最近の日本経済新聞は、こと温暖化については偏向報道に切り替えた。
北極の氷が2008年の11月に観測史上、最高になったことも、南極が気温が下がっていることも、キリマンジェロの氷河が減っているが、対流圏中層部の気温には変化が見られないことも、すべて無視して報道してきた。
とくに「環境教育」関係の記事はひどかった。明らかな間違いを小学校の児童に教えているのを誇らしげに伝えていた。それが「よい子」であると思ったのだろう。
おそらく、霞ヶ関から日経新聞に圧力があるのかも知れない。なにしろ、大新聞が温暖化、リサイクル、レジ袋追放などに批判的な記事を出すと、環境省の課長クラスからすぐお叱りがあると言う。
こんなことは「権力が報道に関与する」のだから、憲法違反であり、検察庁は環境省官吏を逮捕しなければならないが、身内だからやらないだろう。日本の検察と官吏は国民のために働くのではなく、身内と自分のためだからだ。
とにかく、温暖化という未来の問題について、日経新聞は「予測に基づく偏向報道」をするようになった。そうなると、せっかくの日本経済新聞だが、かつての朝日新聞を読んでいるような感じになって、情報が曲がる。
唯一の頼りだった、日本経済新聞が偏向報道に切り替えたので、日本の大新聞を読むことができなくなり、私はとても困っている。
しかたなく、今は海外誌を中心に読んでいる。日本の情報がほとんどないことも問題だが、それでも、せめて事実を正確に理解することはできるので、自分の頭で考えることも可能になる。
それにしても、大新聞はなぜ「事実を報道する」ことをやめて、自分が得られた情報のうち、自分の「思想」にあう事実だけを読者に伝えたいのだろうか?
日本の読者は事実を知って自分で考えることはできないとバカにしているのだろう。
(平成21年11月24日 執筆)