日本という国は実に素晴らしく、同時に妙な国である。

なんと言っても、飛び抜けて犯罪率が低い。最近は物騒な殺人事件の報道も続いているが、それでも10万人あたりの殺人発生率を調べてみると0.6と世界一(ごく小さい国をのぞく)で、日本の次が0.9と離れている。

エコエコとうるさいが、なにがもっとも大切な「環境」かというと、それは安全に生活できることだから、日本ほど環境の優れた国はない。

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なぜ、日本は犯罪が少ないのか? なぜ、江戸時代の前も犯罪がなかったわけではないが、ヨーロッパなどに比較して格段に安全な社会だったのか? この謎を解くのは私のライフワークの一つで、それもあってアイヌの文化などの勉強もしてきた。

日本人の生活はとても合理的である。もともと自分たちの文化にないものでも、あるタイミングで「良いもの」が外国から来ると、それをすぐ取り込む。

よく、言われるのが仏教で、仏教が日本に伝来して日本の中心的な宗教になるまで100年とかからなかったが、一つの国で「心」の変化が必要な異国の宗教がこれほど早く浸透することはなかったと言われる。

戦国時代に入った種子島(小銃)もそうで、織田信長などの先進的な武将によってほどなく実戦に使われるようになる。

明治維新の時に、日本人の手で制作された蒸気機関やアームストロング砲、それに勝海舟らによって長崎から江戸に回航されたスーヌビング号などの例もまた、日本人の合理性を示している。

でも、日本人が何から何まで取り込んだのではない。何回も日本に入ってきて、どうしても日本人が受け入れなかったものもある。

その一つが「豚肉」だ。

豚肉は中華料理には多く使われていて、日本にも奈良時代の前に豚肉が入ってきた記録がある。

しかし、天武天皇の宗教的な禁止令もあって、定着しなかった。でも、どうも豚肉を日本人が受け入れなかったのは宗教的なことではなく、別の理由で「豚肉を食べるのは良くない」と判断し、形式的に宗教的な理由をつけたと考えられる。

世界的に見てお米を食べる国は魚を好み、小麦を主食にするところでは牛などの肉を食べる傾向がある。これは消化にも関係しているだろう。

その一つの証拠として、江戸時代の啓蒙家、貝原益軒の書物には「豚は腹にたまるから健康によくない」と書いてある。

でも、私はなにか違うと思う。日本人は宗教的な理由とか、消化というのは「受け入れないこと」の単なる形式上の理由であって、本当は「受け入れたくない」ということだろう。

「受け入れたくない」という本当の気持ちは、豚が哺乳動物だからと思う。魚は魚類なので、人間から遠く離れているが、豚は人間に近い。

だから、自然の中で生きているイノシシをたまたま猟で捕って食べるのは良いけれど、自分が積極的に「食べるために哺乳動物を飼育する」という残酷なことは、日本全体の秩序を乱すから、したくないというのが本音だろうと思う。

ジャーナリストのマーチンという人の本に「兄弟が死ぬとなぜ悲しいのか?」ということを「遺伝子の共通性が高いほど悲しい」という説明があった。この中に、遺伝子の世界の解説があり、生物は遺伝子の近いものに共感するとある。

だから、人間にとってはアメーバが死ぬより、魚。魚より豚、そして豚より犬が死ぬと悲しいのだろう。

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明治維新に牛肉が入ってきた。

そのとき、日本人は「散切り頭」をたたいて、「牛鍋」を食べ出した。そして、瞬く間に牛を日本の食材にしてしまう。

どうして、あれほどまでに拒否してきた日本人が、明治維新になった途端にころっと牛肉を食べるようになったのだろうか・

これに関して私の考えは「散切り頭(ヨーロッパ風)を取り入れるなら、牛も認めよう」ということと思う。時代の変化をみる素晴らしい日本人の頭脳の回転を感じる。

スーヌビング号の整備や操舵を教えるためにオランダから来た青い目の技師たちは、勝海舟たちが浴衣のような着物を着て、刀をさし、ところかまわず立ションをしながら、その本人が、次の瞬間には船のエンジンと格闘しているのをみて、ビックリしている。

日本以外のアジアでは、現地の人はエンジンなどには決して近づかず、遠巻きにして見ているだけと記録に書いてある。

当時の日本人は、「ヨーロッパ文化を取り入れる」と覚悟し、散切り頭、スーヌビング号、そして牛肉に取り組んだのである。

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日本人は日常生活では極端に合理性を大切にする。不能率なこと、無駄なことをいやがる。

ところが「何のためにそうしているの?」と聞かれると困って答えられない。といって、自分の中では「決してしてはいけない」、「今はそれをするタイミングだ」ということを実に正確に判断する。

つまり、「中抜きの文化」なのだ。

毎日の生活にはしっかりした合理性がある。そして、「人生とはなにか」、「人間とはなにか」ということもまたその本質を理解している。

でも、その間がない。論理とか理由とか、因果関係を口にするのは苦手である。

判っていないわけではない。長い日本の歴史の中で、「真ん中」はいらなかったのだ。この問題はさらに現代の社会、政治、経済、そして環境にまで及んでいて、アングロサクソンや中国の動きについて行けないという問題も起こしている。

(平成211121日 執筆)