私が小学生のころ、まだ日本の家庭には「自分の子供をしっかり教育する」という習慣が残っていた。
学校で子供がなにか悪さをしたら、それは先生の責任ではなく親の責任だった。
そのころ、私が両親から教えていただいたもので、思い出すと今ではそのままでは通用しにくいものもある。
その一つに「人に家に行くときには、必ず手土産をもって、10分、遅れて行くのよ」と習った。
人の家に行けば、お茶をごちそうになり、なにがしかの時間も拝借する。それに対する感謝の気持ちを手土産で示すのだと言う。それは判る。
そして、10分、遅れていくのは、「約束の時間に行くと、相手がなにか用事のあるときに迷惑を掛ける」ということだった。でも、今では遅れた方が失礼に当たる世の中になった。
本当の話かどうかは別にして、西郷隆盛は人の家を訪れたとき、自分からは声を掛けずに、相手が暇になって家の外に出てくるときまで、ジッと立って待っていたと言う。
本当かも知れない。他人の時間は自分のものではない。
そんなこともあって、私は今でも約束の時間の1時間から2時間前に行く。それは親の教えを守っているからだが、それでも近くの喫茶店で時間をすごし、だいたいは約束の時間に合わせて訪問する。
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ところで、エコポイントなるものでテレビを買う人がいる。私の親が生きていたらどういうだろうか?
「人様のお金を使って、大きいテレビを買う? クニ(私の名前)、何を考えているんだ!」と父のげんこつが飛んできただろう。
自分が病気になり、どうしようも無くなったときには世間様のお世話になることもある。でも健康ならどんなに貧乏しても歯を食いしばって生きていけ、それが親の教えだった。
母は「貧乏は恥ずかしくないのよ」と言い、父は「金持ちにろくな奴はいない」と教えてくれた。だから、私も貧乏を恥じることなく、お金持ちをうらやむことなく人生を送ってきた。
だから私の人生は楽だった。一所懸命さえやれば、それ以外のことは天命が決めるだけで自分ではない。お金が入っても、失っても、一所懸命に生きればそれでよいのだ。
立派な人でも若くして命を落とす場合もあり、それは神様だけしか知らない。
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そんな教育を受けたものにとっては「エコポイントを使う人」は「乞食」に見える。それも食べるものを恵んでもらうわけではない。テレビを見たり、大型冷蔵庫を買うのに人のお金をせびるのだから、乞食の中でも乞食だ。
エコポイントをもらう人の親はどういう人なのだろうか? 一度、お会いしたいものである。
そして、もしエコポイントを使うなら、お子さんを買い物には連れて行って欲しくない。次世代の日本人が乞食になるのを見るのは辛い。
乞食はエコポイントを決めた政治家だけにして欲しい。
(平成21年11月3日 執筆)