若いころ、私は企業の技術者だった。
企業の技術者というのはハッキリした不文律がある。それは「いつか、この製品を世に出すぞ!」という意気込みであり、その製品は「技術的に優れていて、社会に貢献するもの」であり、それは当然、社会で歓迎されるからよく売れ、そして安いから会社の収益に貢献するということだ。
「正当な」会社の活動は、社会の発展に寄与する。なにが「正当」かというと、「ボロ儲けをせず、8%ぐらいの利益率を保つようにする」、「社会に毒物を流したり良俗を破壊するものを販売しない」、「談合せず、補助金などを求めず、技術力で勝負する」ようなことだ。
・・・・・・・・・
太陽電池での発電の買い取りが行われる。
普通ならキロワット時24円をその2倍の48円で電力会社が個人から買い取り、その差額は電力費に転嫁する。
なんでこのような変なことを電力会社がするかというと「政府のご命令」だそうだ。独占禁止法に触れるのではないか?政府と企業の談合ではないか?と疑う。
まるで、談合だ。こんな奇妙なことが行われるのは「CO2を削減する」為だそうだ。
「値段が高いのにCO2削減になる」ことを学問的に証明することは出来ない。値段が高いと言うことはエネルギーとか材料を使うことだから、そこでCO2がでる。なにも家庭ででなくても、工場で出れば同じことだ。
でも、日本国には「御用学者、御用研究者」がウヨウヨしていて、役人にとりつき研究費をせびる。彼らは本当は研究者ではないので、お金になれば何でもする。「旦那さん、何をすれば良いのですか?」とご用聞きをするのだから、「値段が高いのにCO2は出ない」ぐらいは朝飯前だ。
かくして、200万円する個人用住宅の太陽電池発電設備の半分を税金でまかない、発電した電気は2倍で買い取ってもらう。それでも(日本全体の)CO2は減るという。
何という醜悪なことだろうか?
まず、太陽電池を設置している家庭は、温暖化を促進し、税金をもらい、電力費を他の家庭に転嫁する。とんでもない人たちだ。そんな自分勝手な人とは友達にはなりたくない。
・・・・・・・・・
でも、太陽電池の技術者が気になる。太陽電池というのは昨日今日に研究が始まったわけではない。
税金を投入した研究も40年前の国の「サンシャイン計画」からだし、いままで膨大な税金を投入した。そして開発している会社は、大手のメーカーだ。決して中小ではない。
太陽電池の技術者は40年経っても、石油にも原子力にも叶わず、人のお金をもらって4倍(設置に2倍、売電が2倍)の電気を売ろうとしている。
太陽電池を研究している技術者にサムライはいないのか! そんな惨めなことをして、君はなにをこれまで勉強してきたのか!技術者の魂は「より安くて良い技術を提供して、少しでも社会に貢献すること」だったのではないのか!
40年、豊富な研究費で研究し、それでも4倍もかかるものが「環境に良いはずはないから、販売を止めてくれ」と何で重役に言えないのか?なんで製造を止めないのか?
「お金が儲かればなんでもやる」という技術者が登場するのは、技術者の一人として我慢が出来ない。環境を改善する技術を開発するのは正しい。
でも、それは「普通のこと」だから、なにも国民をだまして貧弱な製品を売らなくても良い。日本人技術者の誠を貫き、歯を食いしばって石油と対抗できる発電技術を作って欲しい。
「大量生産すればコストが下がる」などとさらに追加してごまかすことは止めて欲しい。企業なら、今の技術でどの位、生産すればコストがどうなるかは簡単に計算できるのだから。
補助金をもらうということは他人のお金だから「乞食」だ。それももう、研究を開始して40年なのだから。(平成21年11月1日 執筆)