読者の方からのご質問もあり,また名古屋市の緑地のことで考えることもあり,大切な話題だけれど,少し肩の力を抜いて書きたくなった.

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私は「人間は動物であり,自然の中で過ごすようにするのが良い」という考えを保っている。舗装も余りせず,樹木を残し,蚊や蠅もあまり退治せず,中庸な環境こそ大切だと感じる。

たとえば,土の道路に馬糞が落ちていて,それが乾燥し,風が吹くと子供の鼻から体に入るような環境が「ベスト」ということだ。

そんな私から見ると,東京はもちろん,名古屋ですらあまりに人工的な町を作ってしまったのではないかと危惧している。そしてそれは「自然の勢い」ではなく,「人間が故意に作った人工的空間」だから「人間が直すことができる」と確信している。

緑を回復すること,それに市民が力を集めることは,多くの人が「自分にとって何が満足か,子供にとって何を残すべきか」がハッキリ判ったとき,直ぐにでもできると思っている.

でも,現実的にはできない.できない理由には二つある。

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一つは,テレビの宣伝などで急かされるように物を買い,NHKのように「エコ,エコ」と言って追い立てられるので,ついつい「衝動買いとCO2削減」などの見当外れの方に行ってしまうからだ.

私流に言えば,「幻想の世界に連れ込まれ,そこでもがいている」というように見える。私の「愛用品の五原則(ものを大切に)」や「NHK廃止運動(価値観を強制しない)」はそれを具体的に示したものである.

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もう一つは,「他人を尊重し,多様な意見を認め,誠実であること」が必要だ.

私は「人間は動物」と考えているので,自然の中の人間社会を目指しているが,「人間だけは特別」という意見の人もいる。

人間は神様ではないから,何が「正しい」かは判らない.自分は「人間は動物」であると考え,その根拠を論理的に詳細に述べることができるが,そう思わない人もいる。

「意見の相違」ということが発生する理由は,1)事実を共有していないとき,2)利害関係が対立してそれを隠しているとき,3)その人の生い立ちやミーム,などがあり,1)と2)は話し合いと誠実さで解決できるが,3)はできない.

だから,一応,議論して1)と2)が解決されて,それでも3)が残るときには仕方がない.

また,相手を「説き伏せる」必要は無い.相手は相手の根拠があるから,根拠をお互いに理解すれば良い.そして相手が誠実でなければ,説き伏せても意味が無い.

お互いに尊重し,自然の中で過ごす人たちと,人工的空間が良い人たちで社会を造るしかない.どちらが間違っているとか正しいと言うことはない.

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ただ,今まで余りに人工的空間が増えた.だから,全体としてみると自然環境を作っていく必要がある.それは人工的空間でリサイクルをしたり,ダイオキシンを規制したり,CO2を削減することではないというのが私の考え方だ.

でも,私は人を説得しない.私が認識する事実を説明し,できるだけ共通の認識を持ち,もし相手と意見が違うときには何が違うかをハッキリさせれば,その後はなにも言わない.言う必要がない.

ある人は,「お金が欲しくて人をだましたい」という人もいる.太陽電池の技術者や原爆の製造する人などがこれに当たる.でも,そのような人はなかなか難しい.

なぜなら,動物は「自分が大切で,自分だけ良ければ良い」という存在だから,その根本を議論するには時間がいるからだ.

ある人は,「私は自分が有利になるなら,ウソをつく」という人もいる。NHKがそうだが,誠実さが無い人と意見を合わせるのも難しい.また,このような人は一般的に饒舌で,頭の回転が良く,議論してもきりがない.

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誠実さをもって,自分の確信に進む。それが私の考えであり,それが結果的に正しければ,社会は紆余曲折があっても,その方向に行く。

自然を大切にすること,少子化を進めること,国債を発行しないこと,市民が主人公であること,温暖化は問題が無いこと,リサイクルは止めること・・・などが私の確信である。

地道に活動すれば,かならず,将来はそうなると思う。

人にはいろいろ弱い面がある.メンツがあるから訂正できないとか,自分の将来が心配だというようなことすら乗り越えられない.でもそれが人間なのだから,それも合わせて認めていくのだろう。

(平成211027()